私たちがこの人生でキリストにとどまり、神の御国と義を求めて生きようとする時、多くの試練や苦難に直面するでしょう。その一つは、偽預言者に対峙することです。主イエス・キリストは偽預言者に警戒せよと警告しています。
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偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。マタイ7章15-20節 聖書協会
どのように偽預言者を見分けることが出来るのでしょうか。どのように対処したらよいのでしょうか。
預言者は誰かの代弁者
預言者とは、誰かの使者です。偽預言者は、説教者や預言者である必要はありません。偽預言者は、間違った教義を教えクリスチャンを騙す偽クリスチャンです。偽預言者は、悪魔に騙されているので偽の教えを教え、悪魔のメッセージを広め人々を騙して、自分自身と同じように悪魔のしもべにしようとします。
こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。2コリント11章13-15節 聖書協会
偽預言者は正義を重んじ、善行をしているように見えます。物腰柔らかで、人々にとても親切に見えますが、実際は羊の皮をかぶった狼です。このような人は、悪魔の代理人であり、誰かを食い尽くそうとしているのです。
偽預言者の目的は、忠実なクリスチャンを混乱させ、あたかも神に忠実であるかのように見せかけることです。偽預言者は、彼らが主張する間違った信条を信じるようにあなたを促します。偽預言者はクリスチャンを分裂させ、キリストにおける一致を破壊しようとします。私たちはこのような偽クリスチャンから守らなければなりません。

偽預言者は、クリスチャンから出てくる
偽預言者は、他の宗教やキリスト教の外から来るのではありません。キリスト教の内部、キリスト教徒の中から出てきます。
パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。・・・パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。・・・どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、…目を覚ましていなさい。使徒20章17-18、28―31節 聖書協会
パウロは、クリスチャンの中から偽預言者が出てくると預言しました。外から偽預言者が現れるのであれば、防御は意外と簡単かもしれません。しかし、悪魔は教会内に忍び混み、信仰深いクリスチャンをだまし偽預言者、偽クリスチャンにしてしまうのです。だからこそいっそう霊的に目を覚まさなければなりません。
新約聖書の偽預言者に関する警告は、すべて二重の意味を持っています。1番目は「偽預言者に気をつけろ」です。2番目は「自分が偽預言者になってはいけない」です。まず、最初の警告について考えてみます。
偽預言者、偽クリスチャンに警戒する
偽預言者の問題は常に私たちの中にあり、世の終わりまで決してなくなることはありません。したがって、キリストは偽預言者について警告しています。どうすれば偽預言者を見分けることができるでしょうか。一方で、私たちは人を裁いてはならないと命じられています。人を裁かずに偽預言者に気づくにはどうすればよいのでしょうか。
キリストは、偽預言者は実によって見分けることができると言っています。キリストが言っている実とは何でしょうか。木の実が見えるのと同じように、偽預言者の実も見ることができます。彼らの実とは、彼らの態度、彼らの教え、そして彼らの教えによってもたらされる結果です。私たちはそれを見たり聞いたりすることができます。
サタンに騙された偽預言者の目的は、人々を混乱させることです。このすべての中で最も不可解なのは、偽預言者にはそのような意図がないことです。実際、彼らは神と正しい関係にあると考えています。彼らは、自分たちの教えが神から与えられたものだと信じているため、自分たちは正しい心と純粋な動機を持っていると考えています。
偽預言者の影響は、オレンジの箱の中の腐ったオレンジのようなものです。彼らは日々、週ごとに他の人々に影響を与えます。私たちはそのような偽預言者の存在を見極めなければなりません。
多くの場合、偽預言者は元クリスチャンでした。偽預言者は、教会内から生まれるために、私たちは正しい判断ができなくなり混乱してしまうことがあります。元クリスチャンだった偽教師の生活を観察すると、この人たちはまだ神の祝福を受けているように見えます。間違った教義を教えながら、どうして神の祝福を受けることができるのでしょうか。これは十分にあり得ることです。なぜなら、神の祝福は私たちの中にしばらく残る芳香や香水のようなものだからです。それらはすぐに消えることはありません。これが、私たちが偽預言者について混乱する理由です。どうすれば、偽預言者を裁くことなく見分けることができるのでしょうか。
私たちは他人の悪いところを探しているのではありません。しかし同時に、私たちは偽預言者の実に注目し、人に注目しません。私たちは、彼らの実と人を区別する必要があります。私たちは彼らを同じ人間として愛しています。私たちが偽預言者になる可能性は十分にあるので、彼らを裁くことはできません。
偽預言者にならない
偽預言者に関する警告は常に2つの意味を持ちます。私たちは偽預言者とその誤った教えに注意する必要があり、偽預言者になってはならないということです。
偽預言者にはどのような特徴があるでしょうか。それを知れば、偽預言者を見分けることができます。また、彼らのようにならないように注意することもできます。1世紀のパリサイ人は偽預言者の代表的な例です。彼らには3つの共通の重要な特徴があります。
1. 自分は常に正しいと考えている
まず、彼らは自分の教えに誇りを持っています。彼らは、自分たちだけが正しい教義を持っていると考えています。これが偽預言者の一番の兆候です。このような偽クリスチャンは、「あなたは自分だけが正しいと思っているでしょ」と指摘されると、必ず全否定します。「そんなことはこれぽっちも思っていません」と否定しますが、その人の実際の態度や言葉の端はしにプライドが見え隠れするのです。
1世紀のパリサイ人は、自分たちだけが神と正しい関係を持っているというエリートの考え方を持っていました。誰と話しても、特にカルトのグループには、エリートの考え方があります。これが偽預言者の一番の兆候です。したがって、私たちはそのようになってはなりません。
2.人と状況を自分の状況に合わせてコントロールする
第二に、彼らはあなたや状況を操作します。面白いのは、彼らは自分たちに純粋な動機があると思っていることです。彼らは、純粋な動機に訴えることで、自分たちの行動、態度、教えを正当化します。かつて、ある人が私にこう言いました。「私には、正しい教義を教えたいという純粋な動機があります。私の言うことを聞いてください。」同じ人が別の時、私に言いました。「私には良いと思ってやっているのに、あなたは誤解しています。」最初、私はこの偽クリスチャンの策略に気付きませんでした。見事にこの人は私を操っていたのです。
偽預言者は、あなたの感情を操作して、彼らの教えを信じるように説得します。それだけでなく、彼らは教えを巧みに操ります。パリサイ人は、状況に応じて自分たちのニーズを満たすために教えを巧みに操りました。彼らは自分には甘く、他人には重い負担をかけました。これは、私たちが彼らの特徴に見落としがちなテクニックです。
3.偽預言者は自分を高い位置に置きたがります
偽預言者は、あなたよりも高い地位に立つべきだと感じています。上目線で人を見ます。彼らは、自分たちがいかに恵まれていて、いかに善良であるかを他人に示すために、注目を浴びることを好みます。彼らは、自分がどれほど知識豊富であるかを無邪気に示します。
彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。…ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。また、『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。マタイ23章4-7、16-18節 聖書協会
偽預言者は、他人に対して厳しくなり、自分に甘くなる偽善の典型です。人を自分の都合の良いように使い、また教えを使い分けたりします。これはまさに主イエス様が描写する偽善です。しかし、私たちは、このような偽善的な心と態度と言動を見破り、自分自身がそのような偽善者にならないように戒めましょう。
偽預言者の悲しい事実はこれです。彼らは自分が偽クリスチャンであると言う自覚を持っていません。自分たちが純粋な動機と正しい教義を持っていると考え、霊的に他の人よりも優れていると考えています。彼らはサタンに騙されています。これが彼の罠です。
偽預言者、偽クリスチャンの最後
偽預言者の最後について考えてみましょう。
かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。・・・その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自身は滅亡の奴隷です。人は、自分を打ち負かした者に服従するものです。わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。ことわざに、「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。2ペテロ2章1-2、19-22節 聖書協会
偽預言者の最後は悲しいものです。彼らはかつてはクリスチャンでしたが、サタンに騙されて、サタンの手先や道具になってしまいました。
これは腐った食べ物のようなものです。とてもおいしい料理を作ったと想像してみてください。しかし、数日放置すると、腐ってしまいます。臭いもひどくなります。もう食べられません。どんななものを加えて直そうとしても、元通りにすることはできません。最後には捨てなければなりません。
偽預言者になったクリスチャンにも同じことが起こります。管理人は、時々間違いを犯します。誤った判断をします。罪を犯すこともあります。多くの愚かな事をしたとしても、一つだけ肝に銘じてやってはいけない事があります。それは、誰も偽預言者、偽クリスチャンににならないことです。主イエス・キリストが私たちの人生を支配し、私たちが進むべき道に導いてくださるように祈ります。
読者の皆様の上に主イエス様の尊い祝福が宿りますように、心よりお祈り申し上げます。