コンテンツへスキップ 投稿日:2023年2月22日/更新日:2025年4月14日

古代ローマ帝国の宗教とモラル観-新約聖書の背景

新約聖書の背景。神殿

新約聖書の背景として、ローマ帝国の宗教とモラル観を学ぶことは非常に重要です。使徒パウロは、創造主なる神様を知らずに偶像礼拝をしていた人たちや低いモラル観を持っていた人たちにに宣教していました。その人たちはクリスチャンになりましたが、以前の宗教的慣習や世界観をまだ持っていました。このような人々に、新約聖書の手紙は書かれているのです。

目次

ローマ帝国社会の宗教

様々な神々の偶像を礼拝していた

ギリシャ宗教の12の神々はそれぞれが違った役割を持っている、と信じられていました。これらの神々は、人間と同じように感情を持ち、また性的関係を持っていたのです。神々の人間化です。後に神々の人間化は弱まり、神々は霊的な力と考えられるようになります。ローマの人々は、前3世紀ごろからギリシャの12の神々をローマの神々と融合させようとしましたが、すべてが一致している訳ではありません。

ローマ帝国の宗教とモラル観
アルテミス、古代エペソの神

有名な神々の役割を挙げてみます。アルテミス(ギリシャ)とダイアナ(ローマ)は、子宝の神です。アフロディテ(ギリシャ)とビーナス(ローマ)は、10番目の神なので本来なら役割が一致すべきですが、まったく違います。アフロディテは性の神であり、ビーナスは農業の神です。違った神々が、その霊によって違った働きをしていると考えられていたのです。このような背景ゆえに、パウロは1コリント12章で唯一の神、唯一の主、唯一の聖霊の働きを強調する必要があったのです。

運命論、魔力、守り神、様々な迷信

運命論は、ローマ帝国全域に広く信じられていました。星の動きによって運命が定められているとも考えられていたようです。星と運命の関係は、星占いにも発展していったのです。

またこの運命の力は神とも考えられ、運命の神を支配する神々を礼拝するようになっていきました。このようなことを信じていた人たちは、クリスチャンになってもこのような宗教的な迷信を持っていたかもしれません。この様な理由で、使徒パウロは、異邦人クリスチャンに主イエス・キリストに与る祝福と恵みに目を向けるようにと励ましていたのではないでしょうか。

ローマ帝国の宗教
家庭内に置かれた守り神

運命論の他に、ローマ帝国内では魔力や守り神などの様々な迷信が存在していました。魔力は、この世の不思議な出来事を起こす力と考えられていました。現代人は、宗教と魔力は別個のものと考えがちですが、古代の人々には同じでした。

12の神々を最初に説明しましたが、それより弱い神々は守り神のように信じられていました。この守り神は、人を守ることもありますが、同時に人に災いをもたらすような悪戯(イタズラ)をすると考えられていたのです。

守り神の概念は、地方の宗教や家庭にも入り込んでいました。たとえば、ギリシャの宗教の1番の神であるゼウスが、守り神として祀り上げられていました。ローマの宗教でも守り神がありました。どちらもヘビの偶像が、守り神の象徴として飾られていたようです。

団体の宗教と道徳観

ギリシャ哲学が個人を尊重するのに対して、宗教には個人的な信仰という概念はありませんでした。つまり、宗教は人々が集まって初めて成り立っていたのです。異邦人が個人的な信仰によって主イエス様を信じること自体、多くの人々にとって奇異なことだったのです。

1世紀のローマ帝国の宗教にはもう一つ重要な特徴があります。それは宗教とモラル観の別離です。宗教は、善悪についてはまったく語っていません。教えてもいません。倫理観など1世紀のローマの宗教に無かったのです。このような異邦人がクリスチャンになった時に、信仰とモラル観は切り離すことはできないことを改めて認識する必要があったのです。

道徳感が低い社会

ローマ帝国の社会は、非常に道徳感が低かったのは明らかです。モラル観の低下は、当時使われていた表現「パンとサーカス」に現れています。人の人生は、人間の欲望(情欲、性欲、食欲など)を満たせればいいと考えられていました。これらの道徳感の低下は、ローマ1章18‐32節に描写されています。

不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。・・・なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。ローマの手紙1章18-32節 聖書協会

グラディエーターのような人間どおしの戦い、また人間と野獣との戦いは、娯楽として楽しまれていました。このような残酷さは、十字架のような死刑のやり方にも現れています。人々は、キリストの十字架の残酷な死を見て、内心楽しんでいたのかもしれません。

宗教は、道徳観とはまったくつながっておらず、むしろモラルの低下を示しています。ローマ・ギリシャ宗教の偶像礼拝は、人々のモラル観を無に等しいものにしてしまいました。またそれらの偶像の宮には、多くの娼婦たちが、偶像の御利益に関係づけて、売春を行っていました。また同性愛は、ギリシャ社会では珍しい事ではなく、一般的に行われていたようです。10代の男子は、年上の男性に誘われ同性愛になっていきました。

哲学者とユダヤ教の影響力

社会のモラル観はどこにあったのでしょうか。ローマ・ギリシャ宗教には、迷信的な信仰はあっても、善悪を示す基準はまったくありません。哲学者たちは、社会のモラルの低さを嘆き、不道徳な行いを実践する人たちを軽蔑していたのです。しかし、その影響力は社会を変えるほどのものではありませんでした。哲学者同様に、敬虔なユダヤ人たちも、異邦人たちのモラル観のなさを蔑んでいました。

ギリシャ哲学に魅力を感じない人たちは、社会のモラルのなさに嫌気をさし、ユダヤ教に魅力を感じていました。これらの人々は「神を畏れる人々」と評されています。彼らは、ユダヤ教の神を崇め、ギリシャ宗教の神々を否定していたのです。そればかりではありません。ユダヤ教会堂に献金をして、礼拝にも出席していました。使徒行伝にもこれらの人々が出てきます。神を畏れる人々(10章2節、13章6節)、神を崇める人々(13章43節、16章14節、17章4節、18章7節)として説明されいます。

哲学者たちは、人間関係を3種類に分けて考えています。夫と妻、親と子供、主人と奴隷の3種類です。この世界観は、新約聖書にも使われています。たとえば、エペソ5章21-33節は夫と妻の関係、6章1‐4節は親と子供の関係、6章5-9節は主人と奴隷の関係について書かれています。コロサイの手紙も同様に3つの関係について言及しています。

結論

以上、手短にローマ帝国の宗教とモラル観をまとめてみました。この文化的背景は、特にパウロの書簡を読む時に役にたちます。また、1世紀のローマ・ギリシャ宗教の背景と哲学の背景も、手紙、書簡を理解するために非常に重要なテーマです。この2つのトピックについては、別枠で記事にして解説します。もし疑問などありましたら、コメント欄にお願いします。

参考文献

  • Ferguson, Everett. Backgrounds of Early Christianity, 2nd ed. Grand Rapids: Wm B. Wwedmans, 1993.
  • 桜井万里子、木村凌二。ギリシャとローマ。世界の歴史、第五巻。中央公論社、1997年。
  • 村川堅太郎。ギリシャとローマ。世界の歴史、第二巻。中央公論社、1995年。
  • 島田誠。古代ローマの市民社会。山川出版、1997年。