コンテンツへスキップ 投稿日:2023年2月25日/更新日:2025年4月14日

ローマ帝国の階級社会と家族構成-新約聖書の背景

皇帝コンスタンチン

ローマ帝国の階級社会と家族構成について考えます。古代ローマ帝国には、明らかな階級社会が存在していました。そのような階級社会は、当然、家族にも大きな影響を与えました。2つのトピックを合わせて解説します。新約聖書の中の特にパウロの書簡には、階級社会と家族構成に関わるトピックがよく出てきます。この背景を理解することにより、パウロの手紙をより深く理解できると思います。

ローマ帝国の階級社会

ローマ帝国は、軍隊を使って各地域を支配下に置きましたが、働きはそれだけではありません。軍隊によって各地域の治安を保ち帝国に平和をもたらしました。ローマ帝国内を人が自由に行き来することができるようになりました。結果的に貿易が盛んになり、経済成長に貢献していました。

軍隊の単位について説明します。レギオン=6000人です。この6000人は次のように細分化されていました。1コホートは、600人の軍人からなり、10コホート集まってレギオンになります。1コホート600人は、さらに100人単位で細分化されます。100人の兵隊に1人の百人隊長が任命されていました。マルコ5章9節に百人隊長が出てきます。

新約聖書には、軍人を使ったたとえがよく出てきます(ルカ14章31-32節、エペソ6章13-16節)。それだけ一般市民が、軍人を身近に知っていたことを表しています。

ローマ帝国社会は、所有財産によって分けられる階級社会でした。まさに「金が物を言う」社会です。ローマの貴族社会は元老院と騎士から成り立り、それぞれ定められた最低限の財産を所有している必要があったのです。

おそらく、ユダヤ社会も同じような階級社会があったに違いありません。福音書には、貧しい人たちが主イエス・キリストのもとにパンを求めて集まってきたと書かれていますが、この人たちはどこにも行く場がなかったのです。

ローマ帝国の市民権

ローマ帝国の市民権は、ローマへの忠誠のために使われていました。ローマ市民権には、ローマに直訴する権利(使徒25章10-12節)とひどい刑罰から逃れられる権利(使徒16章22節)が付与されていました。しかし、それ以外、特別な権利が付与されている訳でありません。むしろローマ市民権は、名誉と考えられていたようです。

パウロがローマ市民であることを知った千人隊長と部下たちは、パウロを縛ってしまったことを恐ろしくなったと書かれています(使徒22章28-29節)。それというのもパウロは、生まれながらローマ市民権を持っていたからです。

ローマ帝国の市民権は、4つの場合に与えられました。1.親がローマ市民である。2.ローマにおいて奴隷が自由になった。3.ローマ帝国のために特別な事をした。4.軍隊で兵役を済ました。パウロは、トロアスの市民であり(使徒21章39節)、ローマの市民でした(使徒22章26-27節)。このように地方都市の市民権と帝国の市民権を同時に持つことが可能でした。

奴隷制度

奴隷制度は、ギリシャ帝国とローマ帝国において異邦人社会、ユダヤ社会問わず広がっていました。戦争中は、戦争の捕虜が奴隷になっていましたが、帝国内が平和になると捕虜でなく、貧しい人たちが奴隷になったのです。奴隷の子供も、当然のごとく奴隷として働かされました。首都ローマでは、5人に一人が奴隷であったとい記録が残っています。

主人は、奴隷を単なる物と扱い、非常に安い賃金で働かせました。法律的に、この賃金は主人のものでしたが、主人によっては奴隷が使う事も許していました。その賃金を貯めて、奴隷から自由になる人もいたのです。

奴隷は、一般の労働者として使われる場合もありましたが、家族・家庭に仕える奴隷もいました。新約聖書の手紙では、親・子供の家族の関係と合わせて、主人と奴隷の関係がどのようにあるべきか言及されています(エペソ5章—6章)。これはおそらく家族に雇われている奴隷ではないかと思われます。使徒パウロは、クリスチャンになった奴隷またはクリスチャンになった主人に、主の愛によって隣人を愛すように接しなさいと戒めています。

階級社会に関して補足として、保護関係について説明しておきます。ローマ帝国では、非常に特殊な関係が存在していました。それは保護、庇護関係です。ローマ社会特有のものだと思われます。ユダヤ社会に広がっていたかは分かりません。主人と奴隷の関係、軍人の上下関係、金持ちと貧しい人の関係で、主従関係の契約を交していたのです。従う人は、法的に守られる代わりに、主人を敬うことが求められていました。名誉を重んじるローマ社会の特徴が表れていると私は思います。

ローマ帝国の階級社会と家族構成

ローマ帝国の家族構成

階級社会に関連してローマ帝国の家族構成も考えてみましょう。ローマ帝国社会の家族構成は、夫、妻、子供、親戚、さらに奴隷を含めて成り立っていました。このような理由で、使徒パウロは手紙の中で、夫婦の関係、親子関係、主人と奴隷の関係を同列に書いているのです。

アメリカで奴隷制度があった時代、クリスチャンの間で奴隷制度の是非が議論されました。あるクリスチャンは、新約聖書が奴隷制度を是認しているという理由で自分が奴隷を持っていることを正当化していました。非常に興味深いです。

結婚の概念

古代ギリシャでは、カップルは婚約を結び、女性の父親は結婚の保証を約束していました。その保証として女性は結婚持参金をもって結婚しました。しかし、ローマ帝国下ではこのような婚約は、効力がないものになっていきます。女性は、結婚しても法律的には夫の家族の一員ではなく、自分の父親の家族の一員として考えられていました。

女性は、13-15歳くらいで結婚をすることが勧められ男性の結婚年齢は遅く30歳でした。しかし、ユダヤ社会では、男性は18歳位まで結婚するように奨励されていました。花嫁は、婚礼の前に風呂に入り、特別なドレスを着て準備をしました。この婚礼の慣習が、たとえとしてエペソ5章26-27節、黙示録21章2節で用いられています。

初期のローマ帝国では、子供の死亡率が非常に高かったようです。そのため皇帝アウグステゥスは、家族をローマの法律下においたのです。その目的は、公共のモラルを保つためではなく出生率を高めるためでした。経済発展の観点から出生率を高めるために、結婚を奨励したのです。

子供の立場

1世紀のローマ帝国下のユダヤ社会では、小さな子供たちは、家族の中で一番下の地位に位置づけられていました。その家族が奴隷を雇っていたとしても、子供の地位は奴隷よりも下でした。なぜなら小さな子供は、家事や家庭の雑務に、まったく貢献できないからです。

このような背景があり、主イエス様は「自分を低くして、子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と言ったのです(マタイ18章1‐5節)。この聖句は、子供の純粋ゆえに子供には罪がないとも解釈されますが、そうではないと私は思います。主イエス様は、子供のようにへりくだり、自分を低くして人に仕えることの重要さを強調しているのではないでしょうか。

ちなみに異邦人の間では、女の子の赤ちゃんは捨てられることが多かったという記録が残っています。女子は、嫁入りのために多額の支度金が必要でした。もし2人の女の子が生まれた場合は、その費用がかさむのを避けて、一人の女の赤ちゃんは捨てられていたのです。

参考文献

  • Ferguson, Everett. Backgrounds of Early Christianity, 2nd ed. Grand Rapids: Wm B. Wwedmans, 1993.
  • 桜井万里子、木村凌二。ギリシャとローマ。世界の歴史、第五巻。中央公論社、1997年。
  • 村川堅太郎。ギリシャとローマ。世界の歴史、第二巻。中央公論社、1995年。
  • 島田誠。古代ローマの市民社会。山川出版、1997年。