新約聖書の背景として、古代ローマ帝国の哲学を学んでみましょう。新約聖書の手紙には様々な歴史的文化的背景があります。特にギリシャ・ローマ哲学は、パウロの書簡を理解するうえで非常に重要なトピックです。この背景を理解することにより、パウロの真意をより深く理解できるようになります。
古代ローマ帝国の哲学の文化的位置
ギリシャ・ローマの哲学は、今日のような客観的、批評的な観点からの学問ではありませんでした。また中世の哲学のような超自然的、空想的な哲学ではありませんでした。ローマ帝国1世紀では、哲学を学び実践することが生きる道として捉えられていました。
ギリシャ・ローマ宗教には、善悪を教える倫理観はありませんでした。倫理観は、哲学によって教えられていたのです。古代ギリシャでは哲学は、極限られた人たちだけによって学ばれていましたが、1世紀には一般大衆に広がっていきました。いろいろな派があり違いはありましたが、共通した概念がありました。社会での人間性を高めていき、どのように生きるべきかを教えていたのです。エゴや愚かな娯楽から離れ、自立と自由と幸福に生きるべきだと唱えていました。
補足ですが、1世紀の哲学には様々な教派が存在していました。時間がある時に加筆いたします。
1世紀の哲学を学ぶと、新約聖書の手紙に書かれている啓発と多くの共通点があるのに気付かされるでしょう。違いは何でしょうか。もっとも大きな違いは、主イエス・キリストです。すべての祝福とすべてのモラル的な教えは、主イエス・キリストから来ているのです。特にパウロの書簡では、「キリストにあって」という表現が至る所で使われています。
哲学者たちが書いた手紙
新約聖書の手紙の著者たちは、1世紀の手紙のスタイルに従って手紙を書きました。この手紙の形式の中で、哲学者たちは、モラル的な生き方をするようにと弟子たちを説得しています。現代社会では、モラハラとも受け取れる手紙の内容です。当然ながら、1世紀の人たちはそのようには捉えていませんでした。
哲学者たちは、モラル的原則または生き方を受け入れるようにと説得したり、愚かな行いから離れるように促しています。このような啓発は、哲学者と弟子があたかも議論しているかのように、問答形式で書かれています。
新約聖書にこの問答形式で書かれている手紙はないでしょうか。使徒パウロの多くの手紙が、この問答形式で書かれています。特にローマ人への手紙で、パウロは手紙を受け取る人々の質問や反論を考慮に入れながら、この問答方式で手紙を書いています。パウロも、1世紀の人たちが慣れ親しんでいた1世紀の哲学者たちが書いていた手紙の方法を使っていたと思われます。

結論
1世紀の哲学の文献、特に哲学者たちが弟子たちに書いた手紙には、新約聖書に書かれている手紙と多くの共通点があります。共通点があっても、神の御言葉である聖書の権威を脅かすものではありません。
新約聖書の著者たちは、すべての教えと恵みが主イエス・キリストにあることを強調しているのです。モラル的に良い生き方をしているからといって、神様の祝福を受ける訳ではありません。主イエス・キリストを信じる信仰に、神様の祝福があるからです。この点を理解したうえで、新約聖書の手紙を読めばより理解が深まるのではないでしょうか。
参考文献
- Ferguson, Everett. Backgrounds of Early Christianity, 2nd ed. Grand Rapids: Wm B. Wwedmans, 1993.
- 桜井万里子、木村凌二。ギリシャとローマ。世界の歴史、第五巻。中央公論社、1997年。
- 村川堅太郎。ギリシャとローマ。世界の歴史、第二巻。中央公論社、1995年。
- 島田誠。古代ローマの市民社会。山川出版、1997年。
- Doty, William G. Letters in Primitive Christianity. Philadelphia: Fortress Press, 1973.
- Aune, David E. The New Testament in Its Literary Environment. Philadelphia: Westminster, 1989.