私たちは、愛に気づけない狂気の世界で生きています。不思議なことに、この狂気の世界に生きていても、人々は愛に渇望しているのです。信頼できる友達を求めて、愛を求めてさまよっています。私たち人間に希望はあるのでしょうか。
狂気の世界
罪は様々な形で人間を苦しめます。自分自身を苦しめます。思い悩んだり、ノイローゼになったり、本人にとっては死ぬほどの苦しみにもなるのです。最終的に自殺を選ぶ人もいるでしょう。悲しいことです。そして、人間の罪は、他の人々を苦しめるのです。10代の子供たちが闇バイトに手を染めてしまい、自らを奈落の底に落としています。
罪は、私たちの判断を狂わせ、正しい道を見失わせます。思い悩み、孤独に苛まれることで、やがて自分自身を追い詰めてしまういことがあります。罪がもたらす苦しみは、他の人々にも影響を与え、社会全体を暗い影に包んでしまうのです。
夜中の2時に数十台のバイクが、グォーグォーと爆音をたてながら町中を回っているのを聞くと、怒りとも言えない情けない気持ちになります。2025年3月29日の今朝もその爆音を聞いて目が覚めました。このバイクのお兄さん方は「俺はここにいるぞ。俺に気づいてくれ。俺のことをかまってくれ」と言いたくて仕方がないのです。
日本では、戦争反対の人たちが他の国々よりも多くいるかもしれません。戦争に勝っても負けても、戦争は不幸をもたらすだけです。特に日本は、真珠湾攻撃で戦争を始めた国として、敗戦国として、原爆投下された初めての国として、今でもその負の遺産を受け継いでいます。だからなおさら戦争反対の声が高いかもしれません。とは言っても、世界中の緊張感は高まるばかりです。

戦争だけではなく、身近な場所でもいつテロが起きてもおかしくない世の中に生きています。毎年、アメリカでは銃の乱射事件が発生します。このような悲劇はとめられないのでしょうか。人間がこの世に生きている限り無理なのです。私たち一人ひとりが、罪悪という大きな渦巻きの中にいます。また、この渦巻きの一部として動いているのです。私たち人間にはどうする事も出来ないのです。
目に見えない神様の愛
このような狂気の世界に生きていれば、人々の愛は冷めてきます。神様の愛も感じなくなります。しかし、目に見えない神は、私たちを様々な形で愛しています。多くの場合、私たちはその大きな愛に気づくことさえしないで、過ごしています。神の愛はちょうど空気のようなものでしょうか。空気を吸う時に意識している人はいないでしょう。空気があって当たり前だと思っているからですね。仮に、「明日から空気がなくなりますよ」と発表されたら空気の重要さに気づくかもしれません。排気ガス、PM25、黄砂で汚染されている空気でさえ、私たちにとってはなくてはならないものです。そんな汚染されている空気でもなくなったら、数十分で地球の生物はなくなってしまいますから。
しかし、人間はこの愛を渇望しているのも事実でしょう。愛は人間の根源的な欲求ですが、、その愛には条件がつきやすいのも事実です。相手に期待をもつことで、時にはその期待に裏切られた時に大きな失望を感じてしまいます。これが人間関係の摩擦を生む原因にもなります。
目に見えない神様の愛に気づくことができるようになるには、まず自己認識が必要です。自己認識を深めることで、私たちは自分の欲求や感情に敏感になり、他者の愛に気づくことができるようになります。たとえば、日常生活の中で小さな親切や温もりを感じ取る努力をすることが始めてみましょう。
神様の愛を感じる瞬間は、意外に身近にあります。なぜならば、神様は、善人にも悪人も平等に自然の恵みを通して愛を与えていらっしゃるからです。たとえば、自然の美しさを見てみましょう。そこに神様の無条件の愛があるのです。神様は、あなたの家族や友人を通して、愛を与えているかもしれません。しかし、これらの愛は、神様の愛のほんの一部でしかありません。
キリストによって示された究極の愛
天の神様は究極の愛をイエス・キリストによって示されました。愛には無条件の愛もあることをご存じでしょうか。創造主なる神は、私たちに一方的な愛を与えてくださりました。私たちが頼んでもいないのに、神は一人子である方をイエス・キリストとして生まれさせ、私たち人間の罪の贖いのために十字架に付けたのです。人間の方で頼んでもいないわけですから、「大きなお世話」とも言えます。でも唯一の神は、人間が罪によって苦しみ、悲しみで喘いでいるのを見てほっておけませんでした。
大きなお世話であろうが何であろうが、神様が私たち人間を愛しているのは事実です。もう一つ大切な事実があります。すでに冒頭で書きましたが、私たち人間は、この狂気の世の中で苦しんでいるのです。罪という渦巻の中でもてあそばれています。自分が洗濯機の中に入ってグルグル回っていると想像してみてください。目が回って右も左もわからない状態になってしまいます。実際、私たちが生きている世界は、グルグル回って何が何だか分からない狂気の世界ではないでしょうか。
愛なる神様は、私たちが生まれた時から、ずっと私たちを見守ってくださっています。イエス・キリストは、今も生きておりこの罪の渦巻から私たちを救いだしてくださるのです。私たちは、素直に「あなたを信じます。私を助けてください。」と言えばいいのです。主イエス様にご自分の人生をかけてみませんか。人間が作る宗教は裏切ることはあっても、主イエス様だけは決して裏切ることはありません。この方に人生の全てを委ねてみませんか。
主イエス様への信仰は、私たちの人生の様々な困難を乗り越える力を与えてくださいます。最初は小さな信仰であっても、神様がその信仰を育てあなたを導いてくださるのです。主イエス様への信仰によって、罪深いこの世の現実を直視して、愛をもって行動することで、神様の愛の香りが他の人々に伝わるかもしれません。また、神様の聖霊によって、人々の心が開かれるようになると、管理人は信じております。
読者の皆様の上に、主イエス様の尊い祝福が宿りますように、心からお祈り申し上げます。