コンテンツへスキップ 投稿日:2025年7月2日/更新日:2025年7月2日

愛は聴くことから始まる―傾聴の大切さ

愛は聴く

漢字には主に、新聞の聞の「聞く」と、視聴覚の聴の「聴く」がある。「聞く」はやや消極的で、英語の“hear”に当たる。漢字もよく出来ていて、自分という「門」の中にある小さな「耳」で聞く、と書く。つまり、聞きたくないことは門前払いするという一面的な聞き方なのではないだろうか?一方で、視聴覚の聴の「聴く」は、より積極的な聴き方で、英語の“listen”に当たる。これまた漢字もよく出来ていて、耳偏が大きい。大きく「耳」をそばだてて聴くということか?そして、その右側が「十四」の「心」となっている。相手が何を言おうと、「十四」の「心」をもって柔軟に受け止めるという聴き方なのであろう。そんな「聴き方(listening)」ができたら、それはまさに“愛”である。

めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。(フィリピの信徒への手紙2章4節)

あるお子さんがママもしくはパパの似顔絵を描く際に、決まって口を顔面の半分ほどに大きく描く一方で、耳を描くことはないというのです。心理学者はその絵を分析してこう言いました。この子は訴えているのだ、「うちのママあるいはパパはガミガミ、ガミガミ言うだけで、私の話、ぼくの話をちっとも聴いてくれない。」と。その子は無意識のうちに、口を大きく描く一方で、耳を描かないのだという訳です。

「愛(LOVE)は聴くことから始まる」と言われます。だからと言って、ただ聞けばいいというものでもありません。ちなみに、漢字には、新聞の聞の「聞く」と、視聴覚の聴の「聴く」がありますが、新聞の聞の「聞く」はどちらかと言えば、やや消極的な聞き方で、英語の“hear”に当たります。「聞こえる」といった感じでしょうか?「聞」という漢字もよく出来ていて、自分という「門」の中にある小さな「耳」で聞く、と書きます。つまり、聞きたくないことは門前払いする訳です。

愛は聴く

それに対しまして、視聴覚の聴の「聴く」は、より積極的な聴き方で、英語の“listen”に当たります。真剣に耳を傾けるというイメージです。これまた「聴」という漢字もよく出来ていまして、耳偏が大きいですが、大きく「耳」をそばだてて聴くということでしょうか?そして、右側が「十四」の「心」となっていますので、相手が何を言おうと、「十四」の「心」をもって柔軟に受け止めるという聴き方です。そんな「聴き方(listening)」ができたら、それはまさに“愛”なのではないでしょうか?

「私の話を聞いて下さい」という作者不詳のこんな詩があります。「私の話を聞いて下さいと頼むと あなたは助言を始めます。私はそんな事を望んではいないのです。私の話を聞いて下さいと頼むと あなたはその理由について話し始めます。申し訳ないと思いつつ私は不愉快になってしまいます。私の話を聞いて下さいと頼むと、あなたは何とかして 私の悩みを解決しなければという気になります。おかしなことに、それは私の気持ちに反するのです。祈ることに慰めを見出す人がいるのはそのためでしょうか?神は無言だからです。助言したり調整しようとはしません。神は聴くだけで、悩みの解決は自分に任せてくれます。だから、あなたもどうか黙って、心静かに私の話を聞いて下さい。話をしたかったら、私が話し終わるまで少しだけ待って下さい。そうすれば、私は必ずあなたの話に耳を傾けます。」

愛は聴くことから始まる。・・・まずは、相手の話にじっくりと耳を傾けることから始めたいと思います。 最後まで読んで下さいましたあなたに、神様の平安が豊かにありますように。シャローム!

御茶の水キリストの教会 野口 良哉

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