コンテンツへスキップ 投稿日:2025年4月7日/更新日:2025年4月8日

ローマ人の手紙3章21節-新しい契約と十字架の関係

キリストの十字架

ローマ人への手紙は、パウロがローマの教会に宛てたものであり、神の義と信仰の重要性について詳しく述べています。特に新しい契約がどのように私たちの生活に影響を与えるのかを考えることは、信仰深い生活を送るための鍵となります。本稿では、ローマの手紙3章21-26節を通じて新しい契約の意義を深く掘り下げていきます。また、新しい契約と十字架の関係を解説します。

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。ローマ3章21-26節 聖書協会

神様がイスラエルの民と結んだ契約

天の神様は、数ある民族の中からイスラエルの民を選び、イスラエルの人たちだけと契約を結びました。この契約下で、イスラエルの人々は神様の契約の律法が与えられました。律法は契約の要です。律法とは日々の生活をどう生きるのかが決められた約束事、決め事です。

神様がイスラエルの民と結んだ契約を理解するために、古代の歴史的文化的な背景を理解することは重要だと思います。

イスラエルの歴史を振り返ると、神様が彼らに与えた律法がどれほど重要であったかがわかります。律法は単なる法則ではなく、彼らの生活の指針であり、神との関係を保つための道でした。特に、出エジプト記やレビ記には、契約の条項が詳細に記されており、神がいかにして人々を導いてきたかが示されています。これらの律法は、イスラエルの民がどのように神様の前に生きるべきかを教えているのです。

この律法には、ある特殊な規則がありました。それは、人が悪いことを行った場合、つまり神様の対して罪を犯した場合には、その代償としていけにえを捧げなさいと命令されていたことです。イスラエルの人々は、罪を犯すたびに羊をいけにえとしてささげたのです。いけにえの制度は特に重要です。古代のイスラエルでは、いけにえを捧げることで、罪の赦しを得ることができました。この行為は、神との関係を修復するための大切な儀式でした。

旧い契約の限界

なぜ新しい契約が必要だったのでしょうか。旧い契約が持つ限界を理解することが、新しい契約の重要性を認識する上で不可欠です。

すべての人間が抱えている問題とは何でしょうか。それはこの世の悪です。私たち人間が造り出しているこの世の罪悪です。聖書は、この世の悪が人間の罪によって作り出されていると言っています。悪魔の力を象徴する罪によって、この世界は支配されています。罪ゆえに、人間は傷つけ合い、殺し合い、騙し合い、罵り合うのです。言うまでもなく、戦争やいつの時代でもあり、犯罪は毎日起きています。罪ゆえに、人間は自分を傷つけるような行いをします。自分の心を汚します。そして、自らを苦しめているのです。

旧い契約において、罪を贖うためにいけにえが捧げられましたが、人間の良心を清めることは出来ませんでした。旧い契約で与えられた罪の赦しは、一時的なものであり、最終的な解決策ではありませんでした。

神様のイスラエルとの契約は、霊性において欠けているところがありました。イスラエルの礼拝も律法も、すべて目に見える物質的なものだったのです。神様は、この不完全な契約を無効とされたのです。イスラエルの契約は旧い契約となったのです。この旧い契約に終わりが来たのです。次に、新しい契約とキリストの十字架の関係について考えてみます。

新しい契約と十字架の関係

新しい契約とキリストの十字架

新しい契約は、イエス・キリストの十字架の死と復活を通じて成就しました。この契約は、全ての民族に開かれたものであり、信じる者すべてに救いをもたらします。神様は、私たち人間に対する愛と憐れみから、新しい契約を設ける決断をされたのです。

天の神様は、罪の狭間で生きる人間の苦しみと悲しみを見て悲しんでおられます。本来、人は自分の罪のために死ぬべきでしたが、憐み深い神様はその裁きを下しませんでした。旧い契約の時代には、神様はイスラエルの人々にその罪の代償として、いけにえをささげさせたのです。イスラエルの人々は、罪を犯すたびにそのいけにえがささげましたが、罪の問題は、完全に解決されてはいませんでした。罪の赦しは一時的な物だったのです。

そして、その罪の問題をイエス様は明らかにしました。「罪を犯す者は罪の奴隷である」と宣言したのです。奴隷には自由がありません。やりたいことができません。逆にやりたくないことをしてしまいます。正しいことを知っていても、その正しいことができません。自分にとっても、他の人にとっても良いことだとわかっていても、それが出来ないのが人間です。罪の奴隷の人間の性です。この罪は私たちを束縛し、神との関係を壊します。

しかし新しい契約では、イエス・キリスト自身が自ら十字架にかけられ、私たちの罪のいけにえとして命をささげました。少しわかりずらい表現が含まれていますが、次の聖句を注意深く読んでみましょう。

なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。へブル人への手紙9章24-28節 聖書協会

新しい契約が必要とされた背景には、この人間の罪深さがあります。この罪深さを理解することで、私たちは新しい契約の価値をより深く認識することができます。私たちが直面する罪の現実を認識することは、自己の内面を見つめ直すきっかけとなるからです。

私たちが主イエス様の教えに心を傾ける時、主イエス様の光が心に差し込みます。そして今まで暗闇で生きていた自分の罪深さに気づかされるのです。主イエス様は、私たちを罪の呪縛から解放してくださいます。私たちは、主イエス様の教えを通じて新しい希望を見出すことができます。心の重荷が取り去られるのです。

管理人の小さな証し

管理人は、主イエス・キリストを知る前は、非常に自分勝手に生きていました。常にイライラして周囲の人たちに自分の怒りをまき散らしていました。一方で、実はそんな自分勝手に振る舞う自分自身を嫌っていたのです。悩み苦しんでいましたが、そんな悩みが全くないかのように、毎日お酒で気を紛らわしていたのです。そんな時にイエス・キリストの教えを聞いたのです。徐々に、心が浄化されていくのに気づきました。暴れまわっていた猛犬がおとなしくなっていくように、管理人の怒りも消えていったのです。今は、主イエス・キリストを信じて、聖霊によって喜びと平安が与えられています。

主イエス様を信じる信仰によって生きる

主イエス様の十字架によって神の義が示されました。神様の義を理解することは、私たちの信仰生活において非常に重要です。神の義とは、主イエス・キリストを信じることにより、すべての人間が神様の子供として受け入れられるという約束です。主イエス様への信仰によって、私たち人間は神様の恵みを受けるという約束です。イスラエルだけでなく、人間なら誰でも神様の憐れみと恵みを受けることができる新しい契約を、神様は与えたのです。

新しい契約によって、私たちの罪は赦され、神様との関係が回復されます。この回復は私たちの生活に新しい意味と目的を与えるのです。キリストによって生まれ変えられた人は、新しい価値観、新しい世界観が与えられ、新しい人生の出発点に立ちます。

イエス・キリストの十字架の犠牲は、私たちへの無限の愛の証です。この愛を受け入れることで、私たちは新しい契約の恵みを享受することができます。しかし、主イエスに目を離しては、キリストの弟子として生きていくことは出来ません。主イエスの教えは、私たちが真の自由を得るために必要な道しるべです。

私たちがイエス・キリストに焦点を当てることで、信仰の深まりを実感し、より豊かな生活を送ることができるでしょう。信仰の旅は、日々の小さな選択から始まります。すべての人々がこの新しい契約の恵みに与ることができます。神様は私たち一人一人を愛し、私たちのために計画を持っておられます。この計画を信じて生きることが、私たち人間の使命だと管理人は信じています。

クリスチャンの信仰は、ただ個人のものではなく、共同体でのものです。新しい契約のもとで、私たちが一緒に神様を礼拝し、支え合うことが大切です。私たちがこの新しい契約の中で歩む時、他者にもその恵みを分かち合うことが求められています。愛と奉仕の精神を持って、周りの人々に神様の愛を伝えていきましょう。このように、新しい契約は私たちの生活をより豊かにし、神様との関係を深める大切な道です。全ての人が招かれているこの恵みを、心から受け入れ、喜んで歩んでいきましょう。

読者の皆様の上に、主イエス様の尊い祝福が宿りますように、心よりお祈り申し上げます。