コンテンツへスキップ 投稿日:2025年4月5日/更新日:2025年4月13日

日本のカルト:宗教で縛られる人々の実態とは?

宗教で人を縛り付けないで

日本のカルトの実態を考えてみましょう。宗教で人を縛りつけないでとある人たちは言います。しかし日本には、宗教で人を縛りつける奇妙な宗教団体がたくさんあります。仏教、神道、キリスト教、それぞれにカルト的な集団があるのです。それらは信者数が数万人にのぼる大きな組織です。それらの宗教団体を責めるのは簡単ですが、そのような教団に入信してしまう日本人の特質にも問題があると管理人は思います。日本のカルトの実態を考えてみましょう。

日本人は適度に縛られるのが好きかも?

統一教会は、カルト集団であることは公然の事実ですが、それでも多くの方々が信者です。定期的にエホバの証人が、輸血問題でマスコミをにぎわしています。またカルト宗教二世の方々が、彼らの体験した苦しみを赤裸々に聞くと、日本人の宗教は本当に狂っているのではないかと考えさせられます。その他、カルトとは公には言われないでも、カルトと同じように信者を縛り付けている著名な団体があるのではないでしょうか。

日本人は、宗教的に適度に縛られるのが好きなのではないかと私は思います。「献金は自由な金額でどうぞ」と言われるよりも、「献金の相場は5000円くらい」と言ってもらった方が気が楽になれるのです。立川に真如苑という新興宗教がありますが、お参りには入場料として毎回3000円がかかります。3000円でご利益がいただけるのであれば、安いものと考えて何の疑いもなく毎週数千人の人たちが訪れるのです。安心感を買っているようなものでしょうか。何かおかしいのでは?怪しいのでは?と思っていても、みんなが行くから大丈夫のように感じてしまう非常に奇妙な国民性をもっていると思います。

とくに日本人は、宗教何でもありという考え方をもっているので、特に仏教系のカルト的な宗教に対しては警戒心を持たないのではないでしょうか。

昨今、様々な宗教団体が活動を行なっています。 その中には社会問題になった団体があるのは、周知の事実です。日本人が宗教的なアレルギーを持っている事実は、よく指摘される事です。100%信じて、初詣やお宮参りに行ったりする人は少ないでしょう。これらの宗教的な行いは、日本人の文化の一部として根づいているものですし、 習慣のようなものです。

宗教的なアレルギーにもかかわらず、それでも数多くの人たちが新興宗教に走るのはなぜでしょうか。まず、第一の理由は入信する人たちは何か心に満たされないものが人生にあり、それを満たされたいと宗教団体に入るのでしょう。 「この宗教ならば満たしてくれるに違いない」とか「この人を信じれば大丈夫だ」と思い入信するようです。 人間、誰もが持っている幸福願望のために宗教に入るのではないでしょうか。

第二の理由は恐れです。地獄に行くのが恐いからとか、 死後の世界での裁きが恐いからと言う理由で、宗教団体に参加する人がいます。第三の理由は、この世で生きている間に物質的に恵まれたい と思い宗教に走る人がいます。日本のほとんどの宗教は御利益宗教です。信じれば何か良い事がある、また御布施をすればもっと恵まれる と言ったものです。つまりGive And Takeの関係なわけです。

関連記事 日本には無数のカルト宗教団体があります。一読の価値あり。なぜ日本はカルトに弱いか 姜尚中さん「宗教的にも政治的にも無色」

日本の宗教総信者数

日本の宗教信者数を調べてみました。文部科学省のサイトで掲載されている2022年データからグラフにしてみました。

日本のカルト
2022年宗教人口

総人口よりも宗教人口の方が、約5000万人多くなっています。これが日本の宗教の実態を物語っています。これは宗教法人からのデータの統計です。宗教法人になっていない団体も、日本には数多くありますので、実際の宗教人口はもっと多いと思われます。

入信する理由と隠れ信者

多くの人たちは、宗教で安心料を買っている。日本人にとっては、保険のような安心料です。万が一のために、自動車保険、火災保険、地震保険、いろいろな保険にかけているかもしれません。それがたとえカルト宗教なものであっても、ひょっとしたら本当かもしれないと思い、保険をかけるように会員になったりお布施をするのです。

お付き合いで入信している。また多くの人たちは、友達付き合いのよしみで、宗教の会員になっています。別に深い意味はないかもしれません。親戚も同じようなつながりで、勧誘を受けたりします。

政治にも影響力をもつ宗教団体。SGはこの横のつながりで、今まで宗教的政治的な影響力を広げてきました。またいくつかの宗教団体は、自民党にとって大きな票集めの力になっているのです。

カルト的とは知っていても、大きな団体だから平気だと思っている。「寄らば大樹の陰」の諺通り、多少なりともカルト的ではないかという認識があっても、大きな団体だから心配いらない、と多くの方々は思っているのではないでしょうか。諺ではありませんが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の心理が、日本人の宗教観にはあるように、私には思えます。

自分が会員になっている宗教団体を、ご近所に人たちに公にしている方々は、活発なSGの方々だけでしょうか。それ以外の人たちは、普通、自分の宗教団体を秘密にしています。

日本人の宗教観は「どっちでも同じ」ですが、すでに書いたように、日本人の宗教は保険のようなものです。万が一のために複数の保険に入るように、複数の宗教に入っておいた方が安心なのです。この意味で、日本には、周囲の人たちは知らないけれど、多くの隠れ信者がいるのではないでしょうか。その隠れ信者ゆえに、宗教人口は日本の総人口数よりも多くなっていると私は思います。

盲信的、盲目的な信仰とは何でしょうか。キリスト教以外の他の宗教の盲目的な信仰を検証してみましょう。宗教は、人間の心を盲目的にさせるのかもしれません。その意味でキリスト教も例外ではありませんが、他の宗教はどうでしょうか。この世にはいろんな宗教があり、いろんな信仰があり、多くの人たちは真剣に信じています。他の宗教の盲目的な信仰を検証してみましょう。

カルトの実態例

1.顕正会の方々との会話

ある日、わたしが教会の周りを散歩をしていた時、顕彰会の女性お二人に声をかけられお誘いを受けました。「わたしはクリスチャンです」というと、怪訝な顔をして「どうしちゃたんですか。そんなものを信じて。」と言われ、ちょっとわたしもビックリしてしまいました。かなりしつこい勧誘だったので、逆にわたしは彼らに「教会でお茶でも飲んでお話ししましょう。来てくだされば、いくらでも話を聞きますよ」と教会に誘ったのです。すると「他の宗教のところに行くのは許されていません。悪霊がいるから」と断られてしまいました。

信仰の本質って何でしょうか。この方々は、本当に心の底から信じていました。確信を持って話をしていました。真剣な眼差しと相手を食ってかかるような態度、同時になぜか、柔らかな物腰で話してくるのです。新興宗教の怖さを思い知らされました。

2.統一教会の友人

モルモン教会の信者、エホバの証人の信者、統一教会の信者、それぞれの方々とわたしは話したことがあります。この方々も、言葉は大げさかもしれませんが、命がけで信じているのです。

その中で特にわたしが親しくしている友人がいます。その方は、文鮮明を心から信じ慕っています。どのように彼に歩み寄ったらいいのか迷って、彼に勧められ文鮮明の本も読みました。彼の言い分も聞いて、幾度となく彼を説得しようとしましたが、無駄な努力に終わりました。彼の信仰は、大きな石のようにまったく動かないのです。揺るぐことはありません。

3.オウム真理教 

オウム真理教の人たちも、命がけで殺人という犯罪を犯しました。彼らの信仰が盲目的であり、クリスチャンの信仰は盲目的でないと、誰が断言できるでしょうか。キリスト教系の中にもカルト的宗教団体がありますから、そんな決めつけはできません。信仰とは単なる思い込みなのでしょうか。信仰が強いとは、単なる頑固に過ぎないのでしょうか。これらの疑問に答えていきます。

  1. 信仰に入るきっかけは?
  2. 自分の信仰を検証する3つの方法
  3. 外部リンク 「盲目的な信仰」と「理性的な精神」

人間が作る宗教よりも主イエス・キリスト

敢えて極論を言わせてもらえば、人間が作る宗教はすべて、カルト的な要素を持っているのではないかと私は思います。社会的に認められ正当な宗教であっても、信者は、誰かにまたは組織の力によってコントロールされていることはないでしょうか。「みんなが行くから私も行く」のような団体心理が働き、宗教に入っていく人はたくさんいます。たとえ、それが一般的に認められているカルト宗教ではなくても、そのような日本人の宗教的な特質に私たちは気づくべきではないかと思うのです。

多くの方々がキリスト教を誤解しているのは、次の一点に絞られると思います。ほとんどの人は、教会に行けばキリストを理解できると考えています。私は直接、主イエス・キリストの話を聞くのが王道だと思うのです。教会から始まる宗教ではなくて、主イエス・キリストとの関係で、信仰生活が始まります。主イエス様との関係があるから、教会での礼拝があり、主イエス様を信じる人たちとの交流があるのです。

  • 誤 教会がある > 主イエス・キリストとの関係
  • 正 主イエス・キリストの関係 > だから教会がある

主イエス・キリストは、決して人を縛ったりしません。束縛したりしません。クリスチャンは、自分の自由を悪用しない自由人だと思います。主イエス様だけを信頼して生きていくーここにクリスチャンの生き方、ライフ・スタイルがあるのではないでしょうか。人に束縛されない、人を束縛しないで、隣人を自分のように愛します。神を愛し、隣人愛を実践して、日々精進していくのです。主イエス様を信じる事を大切にしているから、キリストが建てている教会も大切にします。主イエス様の兄弟姉妹とお付き合いできる恵みに、日々感謝して過ごします。読者の皆様の上に、主イエス様の尊い祝福が宿りますように。