コンテンツへスキップ 投稿日:2023年5月1日/更新日:2025年3月10日

死者蘇生を可能にするキリスト

死者蘇生

死者蘇生は、マンガの世界で取り上げられています。私たちの現実の世界では、医学の力をもってしても、死者蘇生は起こり得ません。心肺停止で完全に死んで4日も経ち、墓に葬られた人を医学の力でよみがえさせるなど不可能です。ここに不可能を可能にする主イエス・キリストの話があります。

さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。…マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」…イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。…イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。ヨハネ11章17-44節 聖書協会

死はすべての人間が経験する罪の呪縛

すべての人間は、死を経験します。どんなにエネルギッシュな人でも、いずれは年老いていきます。アンチエイジングの薬やサプリメントが、この世の中には出回っていますが、年には勝てません。

死は、すべての人間が経験する罪の呪縛です。アダムとエバが罪を犯して以来、すべての人間が死の宿命を負うようになったのです(創世記3章)。誰もが死を迎えるとは思っていても、私たちは死にたくないと思い、もがき苦しみます。実際、多くの人たちはガンや不治の病と闘っています。そんな私たちに、イエス・キリストは大胆なことを語りかけています。

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イエス・キリストは復活であり命である

ラザロという人が、病で倒れ死んでしまいました。ラザロの姉妹であるマルタとマリヤは、ラザロが死ぬ前に主イエス様がそばにいたら、病を癒して下さったろうに嘆いていたのです。

マルタとマリヤは、主イエス様のもとに人をやって「ラザロが病気です。早く来て癒してください」と頼んだのですが、主イエス様はそれを聞いても「ラザロは死んでも生きる」といって、さらに2日間同じところに滞在して、人々を困惑させました。なぜこのようなことをしたのでしょうか。ラザロが完全に死んだと人々に分からせるために、主イエス様はこのような行動をとったのです。

ラザロの墓に着いた時には、ラザロは死んで4日も経っていたのです。そのような状況でも、主イエス様は慌てることなく、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる」と宣言しました。その後、主イエス様は天の父なる神様に祈り、ラザロをよみがえらせました。人類の歴史でこんな事を言ったのは、イエス・キリストだけです。この人は、気が狂っているか、小説のような想像の人物か、または真実を言っているかです。あなたはどのように思いますか。

イエス・キリストは永遠の命を与えて下さる

人間には3種類の命があります。1.肉体の命。すべての人間が頂いている命ですが、いずれこの世から消えていきます。2.霊的な命。創造主なる神は、私たち人間を霊なる者として創造されました。主イエス様を信じることにより、天の神様とのつながることができる霊的な命です。3.永遠の命。クリスチャンは霊的な命は、後の時代の永遠の命になります。神様と共に永遠に生きる命です。主イエス様だけが、この永遠の命を与えてくださいます。

私たち人間は、イエス・キリストの言葉を聞くまでは、この3つの命について考えることなどないかもしれません。多くの宗教が、死後の命について教えていますが、ハッキリした言葉では説明していません。

ところがイエス・キリストは、ハッキリと自分の立ち位置を語っています。1.天の父なる神様と共にいた方である。2.天の父なる神様の命令によって、人間を救うために遣わされた方である。3.天の父なる神様と人間の仲介者である方である。イエス・キリストを通してだけ、人間は父なる神様との関係を持てる。4.ご自分が人間の罪のために、いけにえとして犠牲になること。5.十字架の死から復活した後、天に上げられること。

ラザロを死からよみがえらせたイエス・キリストの教えを聞き、キリストの十字架の死と復活を見た人たちが、証人として新約聖書を書きました(1ヨハネ1章1‐4節)。私たちは、このイエス・キリストを信じるべきでしょうか。

イエス・キリストを信じる者の祝福

イエス・キリストを信じる前は、クリスチャンであっても罪の奴隷でした。自分の欲望によって振り回されていました。世の中の喧騒に振り回され、迷路の中を行き先も分からず、さ迷い歩いていました。

しかし、イエス・キリストを信じ、信頼する生き方には自由があります。イエス・キリストの教えは私たちを束縛しません。むしろ、私たちを本当に自由にしてくださいます。神様によって創られた人間が、そのオリジナルのデザイン通りに生きることができます。父なる神様を愛し、隣人を自分のように愛せる自由があります。

純粋にイエス・キリストを信じて信頼して生きてみませんか。祈ってみましょう。必ずイエス・キリストは、あなたの祈りに耳を傾けてくださいます。何らかの形で答えが与えられます。神様の御心が、行われますように。