「良い港があるからこそ、人は冒険的な航海に出ることができる」という言葉があります。私たちがリアリティをもって、真の故郷である天の御国を待ち望むことができれば、この地上生涯における、それなりに大変な困難をも何とか乗り切ることができるのではないでしょうか?そこで必要なのは「地上では旅人」というスタンスなのです!
「この人たちは皆・・・自分たちがよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。・・・彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。・・・」 へブライ人への手紙11章13…16節 聖書協会
さて、私たちの人生のスタンス、信仰生活のスタンスは、一体、どのようなものでしょうか?もちろん、キリスト者であれば、この地上生涯に噛(かじ)り付くというようなものではないと思います。しかしながら、だからと言って、冒頭に掲げましたみことばのように、天をこそ真の故郷として、「地上では旅人」であるというスタンスには必ずしも立ち切れていないというのが現状ではないでしょうか?
願わくば、少しでも、真の故郷である天の御国、永遠のいのちを先取りし、「地上では旅人」のスタンスに立っていきたいと思います。そして、そのためには、地上における神の国、神の支配を垣間見、それを実感できる教会生活を通して、兄弟姉妹と共に、真の故郷である天の御国をしっかりと覚え、「わたしたちの本国は天にあります」(フィリピの信徒への手紙3章20節)と確信していくことが求められているのではないでしょうか?

ちょっとイメージしてみて下さい。スコールのような急なにわか雨が降ってきたとしても、庭に干してある洗濯物を取りに行くのではないでしょうか?なぜなら、仮にびしょ濡れになったとしましても、きれいなシャワーやふかふかのタオルが備えられた家があるからです。
「良い港があるからこそ、人は冒険的な航海に出ることができる」という言葉があります。私たちがリアリティをもって、真の故郷である天の御国を待ち望むことができれば、この地上生涯における、それなりに大変な困難をも何とか乗り切ることができるのではないでしょうか?
私はよく学生に、前期試験の際にこう伝えています。「試験が終わったら、長~い夏休みがあるじゃないですか?」。すると、学生たちは俄然やる気を出すのです。・・・まもなく夏休みがやって来るのだから、この試験という試練を何とか乗り切ろう、とそう思う訳です。
ある意味、この地上生涯は、私たちがやがて永遠の夏休みである天の御国をじっくり味わう前のちょっとがんばれる出張や旅のようなものなのではないでしょうか?
・・・ぜひ、日々の歩みに「地上では旅人」のスタンスをお忘れなく!
読んで下さいました皆様、お一人お一人に、主なる神の平安が豊かにありますように! シャローム!!!