箴言-主を畏れる意味を、中田キリストの教会の伝道者である前田文夫さんに解説していただきます。短い記事ですが、非常にわかりやすく簡潔に主を恐れる意味をわかりやすく解説しておられます。
箴言は、教訓や戒めを語る短い言葉です。聖書の箴言には、作者としてソロモンの名を付してあります(箴言1:1)。これには異論もありますが、Ⅰ列王記4章32節には、「彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五百もあった。」と記録されているところから、聖書の箴言の大半は、ソロモンの作であることに間違いありません。
ソロモンの箴言金言は不朽の金言
ソロモンの箴言は、人生の問題について基本の真理(神の知恵)を教えた不朽の金言です。「主(神)を恐れることは知識の初めである。」(箴言1:7)とか、「主を恐れることは知恵の初め」(9:10)とある「恐れる」とは、怖がることではなく、慎んで神を敬い御言葉に従うことであり、信仰者の基本的態度を教えたものです。
知識とは、神についての明確な認識のことで、知恵とは、道理を悟って物事を正しく判断する能力のことです。箴言は「自分の悟りにたよるな。」(3:5)と警告し、パウロは「この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。」(Ⅰコリント1:21)と、世の知恵の過信を戒めています。
真の知識・知恵は、神を知り、神を恐れることにある
世の人は、高い学歴を最高の栄誉と考え、知恵を至上の誇りとします。しかし神はこう言われます。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。」(エレミヤ9:23~24)。
また、ソロモンは「知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。」(伝道者1:18)とも言っています。神を離れての知識は、社会に対して不満が多く、人生に対して憂慮を増すのみです。真の知識・知恵は、神を知り、神を恐れることにあるのです。