コンテンツへスキップ 投稿日:2023年1月22日/更新日:2025年3月26日

聖霊なる神とキリストの関係

広大な草原にある道に太陽の光が差している

聖霊なる神とキリストの関係について解説します。「聖霊の働き」の教理は、教派によって多少なりとも違いがあります。そのような意見に縛られずに、聖書に基づき、出来る限りシンプルに聖霊の働きを解説します。ご一緒に考え、聖霊の働きについて考えてみましょう。

聖霊によって生まれたイエス・キリスト

それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで、彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。主は、あなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ。」イザヤ7章14-17節 聖書協会

預言者イザヤは、当時のユダの王であったアハズ王にこの預言をしました。アハブ王が恐れていたシリアとエフライムがあっしりやの王によって滅ぼされると預言したのです。その印として、若いおとめが身ごもって男の子を生むと言ったのです。しかし、この預言は、究極的にイエス・キリストの生誕によって成就されました。マタイは、キリストの生誕がイザヤ7章の成就であることを明らかにして次のように書いています。

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。(マタイ1章18―24節)聖書協会

イザヤ7章の預言通りに、マリアはヨセフと結ばれる前に、聖霊によって男の子を産みました。この幼子は、救い主を意味するイエスと名付けられました。また上記の聖句では、その名はインマヌエルと呼ばれると書かれています。これはどんな意味でしょうか。イエスがインマヌエル=神とともにおられる方だったからです。

イエス・キリストは、降誕する前は天にいらした方です。その方が聖霊によって人となられたのです。ここから、人間の目からすれば、三位一体の神であるイエス・キリストと聖霊の不思議な関係が始まります。

聖霊なる神が、イエス・キリストに宿る

主イエス様が宣教を始める前から、バプテスマのヨハネはすでに主イエス様の道を準備するために、悔い改めのバプテスマによって神様のみことばをユダヤ人たちに伝えていました。その箇所を読んでみましょう。

そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼からバプテスマを受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたからバプテスマを受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。マタイ3章13-17節 聖書協会

神の子である主イエス・キリストが、バプテスマのヨハネの所に来て「悔い改めのバプテスマを受けさせてくれ」と言ったのです。これにはヨハネも仰天したでしょう。しかし、主イエス様は「これは父なる神様の御心に適った正しい事である」と言ってヨハネを説得します。そして、主イエス様のバプテスマの後、神様の聖霊が主イエス様の上に宿ったのです。主イエス様は、父なる神の祝福をヨハネがいる前で受けたのです。

鳩にはどんな意味があったのでしょうか。鳩は、よく平和のシンボルとして考えられますが、同時のユダヤ教では、イスラエルを象徴していたのです。「聖霊が鳩のように」という表現は、主イエス様が「神のしもべであるイスラエルのメシアであること」を、1世紀の読者に伝えていたと思われます。

主イエス様のバプテスマでは、もう一つ大切な点があります。主イエス様のバプテスマは、福音宣教が主イエス様だけの働きではなく、三位一体(父・子・聖霊)の神様の働きであることを表しています。聖霊なる神様が降ったのは、神様の宣教の始まりを象徴しているのです。

聖霊なる神とキリストの関係

旧約聖書における聖霊の働き

聖霊なる神によって、キリストはみわざを行う

主イエス様は、聖霊の力によって神様のみわざを行いました。まず、メシアに聖霊が宿ると預言している旧約聖書の預言を読んでみます。

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。イザヤ11章1‐5節 聖書協会

エッサイの株であるダビデから、メシアが生まれると預言しています。この方の上に、神様の霊、聖霊がとどまります。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊です。ダビデの子として、この世に生まれてきたイエス・キリストは父なる神から直接遣わされた神の子でしたが、同時に人として生きていた間、聖霊の力を必要としていたのです。

主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。イザヤ61章1節 聖書協会

さらにイザヤ61章1節も、メシアの働きが聖霊によって成されることを預言しています。主イエス・キリストは、会堂でこの聖句を引用して、「この聖書の言葉は、今日、実現した」と言いました。つまり、ご自分のメシアとしての立ち位置を公に宣言したのです(ルカ4章16節―21節)。

このような主イエス様の働きに対して、ユダヤ人教師たちは、主イエス様が「悪霊の力によって悪霊を追い出している」と問い詰めました。すると、イエス様は次のように答えました。「わたしが神の霊で悪霊で追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」と答えました(マタイ12章28節)。主イエス様は、この証言によってご自分のみわざが聖霊の力によって成されていると明らかにしたのです。

主イエス様は、聖霊によって生まれました。ヨハネによってバプテスマを受けた時には、聖霊が天から降ってイエス様の上に宿りました。そして父なる神様の祝福を受けたのです。さらに聖霊の働きは、主イエス様の宣教の中でも見られます。主は、聖霊によって神様の御心を教え、聖霊によって悪霊を追い出したのです。