コンテンツへスキップ 投稿日:2022年8月13日/更新日:2025年2月22日

野の花を見なさい、思い悩むな

野の花を見なさい、思い悩むな

主イエス様の戒め

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。・・・信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。マタイ6章25-32節 聖書協会

イエスは、「何を食べるか。何を飲むか。何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい」(マタイ6:31)と言われましたが、「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」は、人が生きていくためにはおろそかにできない問題です。人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのです。

人が生きる目的は、神に仕えることです。ですから、聖書は「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者12:13)と言っています。この本義に忠実な者を、神は必ず顧みて下さいます。

心配から離れ、神様に委ねる祈りをする

しかし、世は衣食住問題を人生最大の関心事として、金銀を切に求めて思いわずらっています。思いわずらいは、本質的には神を信頼しないことです。イエスは心配するはやめなさいと言われ、ペテロも「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテロ5:7)と言いました。

 神は私たちをこの世に必要とされる限り、必ず物心の両面にわたって私たちを支えて下さるでしょう。また天国で必要の折は、私たちをこの世から主の御許に召して下さるでしょう。人の一生は、神の御手の中にあります。ですから、思いわずらいは無用のことなのです。預言者イザヤはこう言っています。「志の堅固な者を、あなた(神)は全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」(イザヤ26:3)。

 主イエスは荒野で悪魔の試みを受けたとき、申命記8章3節を引用されてこう言われました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(マタイ4:4)。肉の生命はパンですが、霊の生命は神のことばであると、イエスは言われたのです。

前田文夫伝道者の一口レッスン