真理を語られていますが、多くの人々がイエス・キリストを信じないのはなぜでしょうか。それには理由があります。心の問題です。悪魔が私たち人間の心を惑わしているからです。
そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。…わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。」ヨハネ8章41-47節 聖書協会
悪魔が私たち人間の心を惑わしている
主イエス様が真理を語っているのに、人間は信じられないのです。それはなぜでしょうか。目に見えない悪魔の力が、人々の心を惑わしているからです。パリサイ人たちは、悪魔の唆されて宗教的なプライドをもっていました。プライドが邪魔をして信じませんでした。今日でもその理由は基本的に同じです。
今日、信じない人たちに、特別な悪意はありません。私の知る限り、信じない人たちの中には、公共の場で悪を働く人などいません。善良な市民の方々ばかりです。それでも主イエス・キリストに耳を傾けようとはしません。
参照記事
- ヨハネ8章1‐11節。主イエスの憐れみ
- ヨハネ8章12-19節。イエスの2人の証人
- ヨハネ8章21-29節。永遠なる方
- ヨハネ8章31-36節。真理は自由にする
- ヨハネ8章52-59節 イエスとアブラハム
真理に対して耳を塞ぐ
主イエスが真理を語っているがゆえに、逆に人間は真理に対して耳を塞ぐのです。真理から目を背けようとします。
真理は、私たち人間の心をえぐります。痛みを供います。自分が罪深い人間であるいう真理など、誰も認めたくはありません。自分の悪やネガティブな感情や思いを考えると、自己嫌悪感を感じてしまうので、私たちはそのような思いを忘れようとします。逃げようとします。自分の悪を正当化して、何とか精神的なバランスを保っているのです。
自分が善人だと思っている人は、主イエス・キリストのメッセージを聞いても心に響かません。悪魔は私たち人間の心に囁いています。「おまえは悪くない。おまえは善人だ。自分の悪を認める必要なんてない。おまえには罪などないのだから」と。
真理を求める人は光の下に来る
しかし、真理を求めている人は、主イエス・キリストの下に来ます。この方が真理を語っていることに気づかされるます。真理は一つです。この方は嘘偽りなく、真理を語っているのです。悪魔が語ることは真理ではなく、嘘偽りです。それを見破り主イエス様の下に行くのです。
悪魔の声に従うのか、それとも主イエス・キリストの声に従うのか、どちらかを私たちは選びます。主イエス・キリストは「わたしを信じなさい。ついてきなさい。私に学びなさい。真理があなたを自由にするから、わたしの戒めに従いなさい」と私たちを招いています。この招待状に、どのように応えるのでしょうか。
主イエス・キリストを選ぶかどうかは、一生かけても決めても悔いは残らない、すべての人間の命題です。なぜなら、私たちはすべて天の神様によって創造されたからです。私たちは、創造主なる神様なしには生き方を知りません。人生の迷路に入ってしまいます。迷路に入っていないと思っていても、暗闇という迷路にいるのです。一筋の光が私たちの心に差し込んでくるとき、迷わず主イエス・キリストのもとに行きましょう。