過ぎ越しの祭りの食事として、イエス・キリストは最後の晩餐を弟子たちと食しました。この最後の晩餐と聖餐式の関係について解説します。聖書には主の晩餐という表現はありますが、多くの教団では、主の晩餐は聖餐式と呼ばれています。
裏話:レオナルド・ダ・ヴィンチは自然を崇拝し菜食主義者でした。自然崇拝ゆえに、彼は市場で売られている小鳥を買って自然に逃がしていたと言われています。
- 外部リンク 西洋絵画美術館 レオナルド・ダ・ヴィンチ
最後の晩餐と呼ばれる理由

主イエス・キリストは、ご自分が十字架にかけられる前夜、弟子たちに過ぎ越しの祭りの食事を用意させます。そして、12人の弟子たちを集め「過ぎ越しの祭りの食事」を食べました(ルカ22章7節23節)。これが、弟子たちと食事をする最後の晩餐になりました。しかし、ダヴィンチの構図は、あくまでも彼の芸術的な想像の産物です。
旧約聖書:旧い契約と過ぎ越しの祭りの食事
神は、エジプトで奴隷となっていたイスラエルを救い出します。イスラエルを過ぎ越して救いの道を整え、彼らをエジプトの支配から救ったのです。この時、神は自分の契約の名前YHWHを示し、イスラエルの人々と契約を結ぶます(出エジプト記1章ー11章)。
創造主なる神は、アブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れましたが、契約の名YHWHを示されませんでした。旧約聖書には、神は数人の人々と契約を結んでいます。たとえば、アブラハムとの契約やノアとの契約です。しかし、新しい契約との対比として、旧い契約という場合、出エジプト記で結ばれた契約を指します。
過ぎ越しの祭りの食事の意味
主の晩餐を理解するためには、過ぎ越しの祭りの食事を理解する必要があります。この契約の食事の際、イスラエルの人々は羊を犠牲にささげ種なしのパンを食べます。神の救いの業を感謝するために、イスラエルが食べる晩餐なのです。(出エジプト記12章1節-14節)
過ぎ越しの祭りの食事の特徴を挙げてみます。
- 過ぎ越しの祭りの食事は、他の家族とも分かち合う共同体の食事であった
- イスラエルの人々は、酵母を入れないパン、種なしのパンを食べた。しかも腰帯を締めて、急いで食べなければならなかった。エジプトの民が、イスラエルの民を取り戻すために追いかけてきていた。そのために、イスラエルの民は急いで食べる必要があった。
- 過ぎ越しの祭りの食事は、神がエジプトの民を裁き、イスラエルの民をエジプトから救い出した記念として行われた。
- 過ぎ越しという表現には、神がイスラエルを過ぎ越し救いの道を用意したという象徴的な意味がある。
このように過ぎ越しの祭りの食事は、神の救いのわざを記念して行われていました。共同体イスラエルの民は、イスラエルの暦の年の始め(3月-4月)に、神の憐れみとわざを覚え、神の契約の食事としてこの過ぎ越しの祭りの食事を食べたのです。
主イエス・キリストの晩餐と新しい契約
十字架にかけられる前に、旧約聖書の教えとおりに、主イエス様は弟子たちと過ぎ越しの祭りの食事をします。主イエス様ご自身、この時を待ち望んでいたと言っています。これが最後の晩餐です。このとき、主イエス様は、過ぎ越しの祭りの食事を通して何を教えたのでしょうか。
主イエス・キリストは、主の晩餐を新しい契約の晩餐として制定しました。しかし、これは過去の話ではなく、現在進行形で今も続いています。主イエス・キリストは、毎週、主の晩餐にクリスチャンを招いてくださっています。主イエス様は、会衆と共に、実際に霊として臨在してくださっているのです。主の晩餐は私たちの行いであると思いがちですが、実は主イエス様の働きなのです。1世紀のときと同じように、主イエス様が私たちを主の晩餐に招き入れ、主イエス様が私たちにパンとブドウ液を与えてくださっています。
ルカの福音書22章14節ー20節を検証
聖書をお持ちの方は、ルカ22章14節ー20節を読んでください。このときに行われた出来事の順番を見てみましょう。
- 十字架の死の前に、主イエス様は弟子たちと過ぎ越しの食事をとるのを願っていました。
- 感謝の祈りをささげ、ブドウ液を弟子たちに与えます。
- パンをとり祝福し、「これはわたしの体である」と言って弟子たちに分け与えます。
- 次に、杯を祝福し、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と明言します。
主イエス・キリストは、過ぎ越しの祭りの晩餐に、新しい意味付けをしたのです。新しい契約の晩餐の意味付けです。過ぎ越しの祭りの食事では、羊がいけにえとしてささげられます。しかし、主イエス様は、弟子たちに羊のいけにえをささげるように命令はしませんでした。なぜでしょうか。主イエス・キリストご自身が、罪のためのいけにえになると定められていたからです。十字架の死を前もって記念して、主の晩餐の場において、主イエス・キリストは、自分の血による罪の贖いを弟子たちに教えたのです。もちろん、このとき弟子たちはその意味を理解しませんでしたが、、、。過ぎ越しの祭りの食事が神の救いのわざの象徴であったように、主の晩餐も主イエス・キリストによる救いのわざの象徴と言えます。
ユダヤ教過ぎ越しの祭りと主の晩餐
Marshall, I. Howard. Last Supper Lord’s Supper. Vancouver: Regent College Publishing, 1980. p179を参照。
古代ユダヤ人たちの過ぎ越しの祭りの食事の儀式とルカ22章で記録されている主の晩餐を比べてみましょう。
- 過ぎ越しの晩餐: 祝福の祈り、1番目のブドウ液、賛美、2番目のブドウ液、祝福の祈り、パン、祝福の祈り、3番目のブドウ液、祝福の祈り、4番目のブドウ液
- ルカ22章の主の晩餐: 祝福の祈り、1番目のブドウ液、祝福の祈り、パン、祝福の祈り、2番目のブドウ液
4つの福音書の中で共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は、主の晩餐を記録しています。ヨハネの福音書は、主の晩餐の直前と直後に、主イエス様が言った言葉を記録しています。ルカの福音書は、主イエス様と弟子たちが行った主の晩餐を正確に書いていると思われます。これは管理人の意見ですが、主イエス様は、同時ユダヤ人が行っていた過ぎ越しの祭りの慣習に従ってパンとブドウ液をとったと思われます。
結論
主イエス・キリストが十字架にかけられる前に、弟子たちとともに過ぎ越しの祭りを食しました。これが十字架にかけれる前に食べたので最後の晩餐と呼ばれています。最後の晩餐と過ぎ越しの祭りの食事と主の晩餐の関係について解説しました。次の投稿では、聖餐式と主の晩餐が、主イエス・キリストの十字架の意味と大きく関わりをもっている点を解説します。