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聖書が教える世界観-ローマ8章18節

神の救いの計画は天から届く

世の中にはいろいろな世界観があります。ある人たちは、この世界が偶然の産物であり、人は猿の進化型と考えます。ます。輪廻転生を信じる人は、人は前世の命の生まれ変わりと考えます。では聖書が教える世界観はどうでしょうか。クリスチャンは、聖書を通してこの世の中を解釈します。クリスチャンの世界観について説明します。ローマ8章18-25節

この聖句は、神様の創造と私たちの存在意義を説明しています。現在の苦しみとは何を指しているのでしょうか。そして、被造物が希望を持っているの意味を考えてみましょう。最後に、私たちの体が贖われるとはどんな意味でしょうか。では最初に神様のオリジナルの創造について考えてみます。

神のオリジナルの創造

神様が天地万物を創造されて、宇宙、自然、動植物を見て良しと言いました。つまり、ご自分が創ったものを見て、「これは素晴らしい。美しい」と言ったのです。私たち人間は、神様の素晴らしい自然の恵みを受けています。私たちが太陽の朝日に照らされて起きる時、どこでもネパールでも中国でもアメリカでも日本でも、同じ太陽で祝福を受けています。

きれいな空気も花も、すべて神様の恵みです。私たちは、神様によって生かされているし、神様によって命が支えられているのです。創世記1章29-30節を読んでみましょう。

神様のオリジナルの創造では、食べ物は神様によって与えられていました。私たちは、食べ物のために、働く必要はありませんでした。自然とハーモニーの中で生きるように、定められていたのです。

人間の罪ゆえに、人は食べるために働くようになった

しかし、人間が罪を犯すようになって、状況は一変します。創世記3章17-19節を読んでみましょう。創世記3章17-19節を読んでみましょう。

この地上にいる人間は、誰でも汗水流して働いて、食物を得るようになりました。自然が人間に牙をむくようになってしまったのです。この春や秋の季節のように、人間にとってちょうど良い季節もありますが、いつもそうではありません。灼熱の熱さの時もあれば、寒すぎる時もあります。過酷な自然が、多くの災害をもたらします。そして、やがて誰も死を迎えるのです。土に返ります。

生きることが空しい

旧約聖書のコヘレトの言葉(伝道者の書)をいくつか読んでみましょう。

コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。太陽の下、人は労苦するが、すべての労苦も何になろう。(コヘレト1章2-3節)聖書協会

人生すべて、働いて苦労する事すべてが空しいわざであると、言ってます。

わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。…人間にとって最も良いのは、飲み食いし/自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見たところでは/神の手からいただくもの。(コヘレト2章17節、24節)聖書協会

神様から与えられた命ですが、生きること自体が苦しみであると言っています。そして人間が働いて、自分の働きによって食物を得て、飲み食いを楽しむのです。これが人間の本分です。

人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。(コヘレト4章4節)聖書協会

人間社会の愚かさを言い表しています。我々が生きている人間社会が、競争社会である頃、弱肉強食の社会であることも教えているのです。だから空しいとも。

自然と共に調和して生きられない

神様のオリジナルの創造の下では、自然とハーモニーの中で生きることができました。しかし、アダムが罪を犯してから、私たち人間は、自分たちが住んでいる地球の自然を破壊しなければ、生きていけないようになってしまっています。

時々、イノシシや猿が山から下りてきて、市街を荒らしまわっているというニュースが流れます。このような事は、世界中で起きています。アフリカでも、ヨーロッパでも、アメリでも起きています。私たちが、山を開拓して、彼らも住む場所がなくなったからです。

たとえば、原油から作られるプラスチックですが、物理化学的に石油に戻してリサイクル出来ればいいのですが、現在の所、それはできません。いつかリサイクル出来るようになれば、いいのですが、神様の創造の業を、人間がやろうとしてもできません。

私たちは、自分たちで自分の首を絞めている状態で生かされています。自然破壊が進み、食糧危機の状態になっていきます。地震や嵐があちこちで、毎年起きます。同時に、この罪深い世の中で、人間たちはお互いに傷つけ合いながら生きています。これらの争いを見て、私たちクリスチャンは、人間の罪深さに改めて気づかされます。

主の再臨を待ち望む

自然も終わりを待ち望んでいる

このような世界で、実は自然、動植物たちも終わりを望んでいるのです。冒頭の聖句、ローマ8章18-25節では、自然があたかも私たちと同じように、感情や意志があるように書かれています。ちょっと不思議に思うかもしれませんが、このような表現が聖書にはたくさんあります。神様によって創造された自然、宇宙は、神様の支配下にあります。神様の御心に従って、動植物も生きているし、宇宙も動いています。神様の恵みによって、動植物たちも生きているのです。

すべての人間は、神様に似せられた者として、特別に創られました。その中で主イエス・キリストを知り神様と関係をもった私たちは、この罪深い世の中に生きながら、神様を慕い求めています。この世の罪に悲しみ、人々の罪に悲しみ、どうすることも出来ない無力感を感じることはないでしょうか。そんな時、私たちは、主イエス様の再臨を待ち望み、永遠の命がいつか与えられるという希望をもって生きているのです。

同様に、神様によって創造された自然社会も宇宙も、終わりを待ち望んでいます。新しい天と地が創られるのを待っているのです。

クリスチャンは希望を持つ

クリスチャンは、このような狂った世の中でも希望を持つことができます。罪ゆえに混迷している世の中でも、天の神様であるお父さまに、希望をもつことができます。それはなぜでしょうか。私たちが、神様によって創造され愛されていることを知っているからです。コヘレト12章1-2節、13-14節

若い時から、創造主なる神様を畏れ敬い、天のおとうさまにすべてを委ねて生きていくこと、これが人間の命題です。それだけではありません。すべての人間が神様に希望をもって生きていくべきなのです。

私たちの人生には、辛い事の方が多いかもしれません。自分が生きてきた人生を振り返ってみたら、悩み事の方が多かったと思えるかもしれません。コヘレトを書いた人と同じように、人生が空しく思えた時もあったかもしれません。それは天の神様も知っています。

だから、常に神様を畏れ、主イエス様の教えに従って生きていくのです。この方がすべての苦労を取り去ってくださるからです。主キリストが再臨される時には、新しい世界が創られ、苦しみや悲しみがありません。私たちが本当に自由にされる世界です。

私たちの体が贖われる

私たちの体が贖われると、書かれていますが、この意味は何でしょうか。ヨハネ3章2-3節を読んでみましょう。

私たちは主イエス様を信じて、神様の子供として受け入れられています。しかし、年々衰えていくこの体は、贖われていません。クリスチャンではない人たちは、この肉体を常に若く、常に魅力的にしようと、人工的な手術を行います。整形です。私たちは、そんな愚かなことはしません。私たちは、心の健康、身体の健康維持のために、神様に感謝して、良い物を食べて、睡眠をとり、日々、神様を礼拝します。

神様が私たちの体を贖い、永遠の体にしてくださいます。霊的な体を与えてください。新しい世界で、私たちは天のお父さまと永遠に生きるのです。この希望が、クリスチャンにはあります。

私たちは、今、この世の中で生きている現実に立ち向かう時、何て恐ろしい世の中に生きているんだと思ってしまうかもしれません。20年後、30年後、自分の子供の将来を考えると、不安になってしまう人もいるかもしれません。10年後には、65歳以上の人の割合が、3割以上になると予想されています。高齢化社会です。これは日本だけの話ではないです。世界中が高齢化社会に向っているのです。

しかし、クリスチャンは違った世界観、死生観を持っています。この世界は永遠に存在するものではありません。いつかこの世界は消えてなくなります。そのような世界は目に見えません。ただ主イエス様が約束してくださっているだけです。その目に見えない新しい天と地を待ち望み、私たちは希望をもって生きることができます。今週も一週間、主イエス様に目を向けて、希望をもって歩いていきましょう。

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