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困難な時こそ遠くを見よう-ヨハネ16章33節

道に迷った女性が遠くを見ている

人生には困難があります。しかしながら、そんな困難にぶつかった時、私たちはその困難にのみ目を留めるのではなく、祈りの中で、もっと遠く、すなわち、その先、その向こう側をこそ見たいものです。あのクリスチャン医師・日野原先生は言いました。「困難にぶつかった時こそ、遠くを見なさい!」と。

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 ヨハネによる福音書16章33節 聖書協会 

子供たちが苦難を感じている時

9月に入りました。その初旬は、終わってみれば短かく感じる、長かった夏休みを終えた子供たちが学校に戻って行く季節です。ただ、子供たちによっては、一番困難な時期を迎えているかもしれません。学校に行くこと自体が苦痛であったりします。私もかつてそうでした。・・・いじめが原因しているかもしれませんし、共同生活が苦手な場合もあるかと思います。なんと命を絶つことまで考えてしまう子供たちさえ存在します。夏休みが終わり、新学期が始まる9月1日は、子供の自死の特異日とまで言われるほどです。

ただ、夏休みは終わっても、決して人生が終わる訳ではありません!「終着駅は始発駅」、終わりは始まりでもあるのです。神様は必ず、不安や絶望の先に“そのあと”を備えていて下さることを覚えたいと思います。そこには人知を越えた平安や希望があるのではないでしょうか?

クリスチャン医師・日野原重明の言葉

ところで、この夏、私は、あのクリスチャン医師・日野原重明先生の最後の著書『生きていくあなたへ~105歳 どうしても残したかった言葉~』を読みました。その中に、心に残る、次のような言葉が紹介されておりました。

困難にぶつかった時こそ、遠く見なさい!

日野原重明「生きていくあなたへ~105歳 どうしても残したかった言葉」

  人生には確かに困難があります。しかしながら、そんな困難にぶつかった時、私たちはその困難にのみ目を留めるのではなく、祈りの中で、もっと遠く、すなわち、その先、その向こう側をこそ見たいものです。なぜなら、そこには私たちを愛して止まない神様が、世に勝たれた主イエス・キリストがいらっしゃるのであり、そんな主が私たちのために用意して下さっている“脱出の道”があるからです。

暗雲には必ず銀の縁取りがある

英語のことわざに“Every cloud has a silver lining.”という言葉があります。直訳すれば「暗雲には必ず銀の縁取りがある」とでもなるでしょうか?・・・人生の諸問題の背後には、希望があるものです。主にあって、希望を持って歩みましょう。

そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。ローマの信徒への手紙5章3~5節 聖書協会         

いよいよ八月です。七月は連日の猛暑、酷暑でしたが、今月は一体、どうなるのでしょうか?いずれにしましても、まだまだ夏本番ですので、今後も適度な水分補給などして、この暑い夏を乗り切りたいと思います。

ところで、私たちの人生は、まさに「山あり谷あり」です。コロナ禍の谷が落ち着きつつあるかと思えば、今度は地球温暖化に起因するのか猛暑・酷暑の山々の連続・・・。個人的にも、病気や人間関係の悩み、経済的な問題もあれば、精神的な問題もあるかもしれません。まさに、悩みや問題が山積です。さらに言えば、突如として、目の前に“まさか”という坂が立ちはだかることがあるかもしれません。

トラベルにはトラブル・・・人生という旅路には、問題・課題が付き物です。しかしながら、問題があるからには、必ず答えもあるものではないでしょうか?主なる神様は、そんな問題・課題には、様々な慰めや励まし、具体的な解決の糸口を備えていて下さるのです。

こんな英語のことわざがあります。“Every cloud has a silver lining.”直訳すれば「暗雲には必ず銀の縁取りがある」とでもなるでしょうか?確かに、夕暮れ時に、東の空に暗雲が現われた際、その背後にある太陽の光によってその暗雲にできた銀色の縁取りを観ることができます。

“Every cloud has a silver lining.”、「暗雲には必ず銀の縁取りがある」。・・・転じて、人生における諸問題という暗雲にも必ず銀の縁取り、すなわち、希望の光があるものだ、ということではないでしょうか?

そんな前向きな思いで、それぞれの問題を観ていきます時に、その問題の背後に何らかの光、希望や慰め、解決の糸口や励ましを確認することができるのではないでしょうか?

聖書によれば、主なる神様は、諸問題の背後に、必ず何らかの希望の光を備えていて下さるのです。ゆえに、使徒パウロは、明言します。ローマの信徒への手紙5章3~5節「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」

人生の試練を通して人は成長する

人生の試練は、必ずしも単なる苦しみではなく、時に、私たちをいい意味で訓練し、成長・成熟させ、結果として、私たちに人生の開花や結実をもたらすものとなるのではないでしょうか。「鷲は昔、翼がなかった」というおとぎ話を通して考えてみましょう。

おおよそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後(のち)になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平安に満ちた実を結ばせるのです。 ヘブライ人への手紙12章11節 聖書協会

梅雨の季節、六月になりました。雨も多く、湿度があり、いわゆる不快指数の高い日々が続くことになります。しかしながら、「恵みの雨」という表現もありますように、梅雨の季節もまた、私たちに必要な恵みであることをも前向きに覚えたいものです。と同時に、私たちに突如、襲ってくる人生の試練も、単なる苦しみではなく、時に、私たちをいい意味で訓練し、成長・成熟させ、結果として、私たちに人生の開花や結実をもたらすものとなるのではないでしょうか?

 「鷲は昔、翼がなかった」というおとぎ話があります。・・・翼がない状態で大きな身体をゆさゆさと揺らして、二本足だけで自らの巨体を運ぶ鷲の姿を想像してみて下さい。

ある日、そんな鷲の姿を見かねた神様が鷲を呼び止めて、言いました。「鷲、お前にプレゼントをやろう」。「えっ、ワシに!?」と鷲は言ったとか、言わなかったとか。そんな鷲に神様は、「これがプレゼントだ」と言って、肉の塊のような何かを背負わせたというのであります。鷲は嬉しくなって、飛んで帰ったと言いたいところですが、翼のない時代の鷲ですから、喜んでスキップして帰っていきました。

ところが、しばらくして、鷲は悩み始めました。と言いますのも、鷲は神様によって背中に背負わされたプレゼントの意味が分からない。それは日に日に重みを増すように感じられ、ついに、それは喜ばしいプレゼントではなく、全く嬉しくない、文字通り、「重荷」でしかなくなってしまったのです。しばらくそんな日々が続いた後、鷲は意を決して、断崖絶壁へと足を運びました。そして、崖下を見下ろしては、ここから飛び降りれば楽になれるかもしれないとでも思ったのでしょうか?

すると突然、鷲の背後から期せずして突風が吹きつけてきました。鷲はその風に煽られ、なんと期せずして、崖の下に転落してしまったのであります。鷲ももう一巻の終わりかと諦めかけた、その瞬間、鷲の背中に背負わされた重荷、いやプレゼントが正体を現しました。実は、あの肉の塊のようなものは翼だったのです。風を受けた翼は徐々に反応し、激突寸前にファッと開いて、鷲は急上昇。それ以来、鷲はそんな翼をかって、大空を自由に飛び回ることができるようになった、というのであります。

 私たちにとっての人生の試練は、もしかしたら、この鷲の翼のようなものなのではないでしょうか? 読んで下さいましたあなたに、神様の平安が豊かにありますように。 シャローム!

御茶の水キリストの教会 野口 良哉

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