私たちは、戦争反対でも戦争から恩恵を受けています。日本が経験した戦争について深く考えてみましょう。日本人の戦争に関する倫理観について考察し、旧約聖書に記録されている戦争の教訓とクリスチャンの説明責任について掘り下げます。戦争の影響が私たちの社会や文化に与えた影響についても触れ、どのようにして私たちが平和を築くことができるのかを考えていきます。
8月15日は終戦記念日です。クリスチャンを含めた多くの方々が、人間の知恵や力で戦争をなくせると考えています。多くの場所で平和が叫ばれます。しかし、罪人であるわたしたち人間が、この地上に住んでいる以上、争いごとはなくならないし、戦争がなくなることはありません。
日本の歴史を振り返ると、戦争は常に私たちの生活の一部であり、個人や家族に深い影響を及ぼしてきました。多くの日本人が自らの経験を通して、戦争の恐ろしさを学び、それ故に戦争反対の声を上げてきました。私たちの倫理観がどのように形成されているのか、具体的な事例を交えて検討していく必要があります。
また、戦争に関する日本人の倫理観は、単なる反戦の声にとどまらず、戦争の背後にある経済的、政治的な要因にも目を向けるべきです。戦争は、時に国家の利益や経済的な利益をもたらす一方で、多くの命を奪い、破壊的な影響を及ぼします。この両面を理解しなければ、真に戦争反対を唱えることはできません。
1.戦争反対だけど、戦争から恩恵を受けてもOKの倫理観

戦争は、ただ単に死傷者を出すだけでなく、社会全体に影響を及ぼします。戦後の日本においても、経済的な繁栄を享受した一方で、戦争の記憶やその影響は消え去ることはありません。私たちは、その歴史をどう受け止め、どのようにして未来に生かすのかを常に考える必要があります。
戦後世代が過半数を占める日本社会では、戦争についてどう考えられているのでしょうか。戦後、軍事面ではアメリカにおんぶに抱っこ状態を続けてきた日本人は、戦争についてどう向き合おうとしているのでしょうか。特に、戦争を直接体験した世代が少なくなっていく中で、私たちがどのようにして戦争の教訓を次世代に伝えていくのかが問われています。
また、戦争を回避するための努力として、国際連携や外交の重要性を理解することも大切です。例えば、国際連合の役割や各国の平和維持活動について考えることは、戦争反対の立場を強化するために必要な視点です。私たちは、平和を築くためにどのように行動すべきかを考え続けなければなりません。
もう60年も前の話ですが、日本は朝鮮戦争の時には軍事景気、特需で恩恵を受けましたが、それでも多くの日本人は戦争には反対を叫び続けてきました。日本人には、今でもこの二重構造的倫理観 があります。 ( 二重構造的倫理観はわたしの造語です。国語的に正しいか分かりません。日本人の倫理観に、本音と建前があるという意味だけではありません。一方でAを賛成しながら、同時に倫理的に全く反対のBも賛成できるという不思議な倫理観です。)
私たちが戦争から逃れるためには、他国との対話や相互理解が不可欠です。戦争を回避するために、私たち一人一人ができることは何か、常に考え続ける必要があります。傍観者ではなく、積極的に平和を築くための努力をすることが求められています。

2.戦争には関わりたくない傍観者でいたい倫理観
戦争は確かに悲惨であり無残なものです。政府が集団的自衛権を閣議決定した際、多くの人々が声を上げて反対しました。中でも、クリスチャンの中には、戦争の恐ろしさを知り、神の教えに従って戦争反対を貫こうとする人々がいます。しかし、日本人は結局のところ、戦争には関わりたくないという本音が根底にあるようです。
私たちが戦争を避けるためには、自己中心的な考え方を改め、他者との連帯感を感じることが大切です。戦争は必ずしも他人事ではなく、私たち自身の利益を考えるだけでなく、世界の平和のために何ができるのかを考える必要があります。
しかし、日本人は結局の所、戦争には関わりたくないのが本音でしょう。傍観者でいたいのでしょう。アメリカには日米安保条約で守ってもらい、でも実際に戦争には関わりたくないのが、日本人の本音です。「戦争をするのはアメリカ人でいい!日本人は巻き込まれてはならない!」という二重構造的な議論が、まかり通るのが日本という社会です。
私たちは、戦争に関して日本人の特殊な倫理観やダブルスタンダード的な道徳観を検証し続ける必要があります。戦争がもたらす影響を深く理解することで、私たちの信仰を基にした倫理観を再定義し、戦争反対の声をより強くすることが求められています。神に対する責任を果たすためにも、私たちは行動し続けなければなりません。

3.戦争に間接的に関わるならOKの倫理観
直接、戦争に関与するのは避けたいと考える人が多い中で、間接的に戦争に関与している事実を見逃してはいけません。私たちの行動が他者にどのような影響を与えうるのか、常に認識しておく必要があります。特に、私たちが支援する活動や商品の背後にある意味を理解することが重要です。
私たちの努力が実を結び、戦争反対の意識が広がることを願います。また、戦争のない世界を実現するために、私たち一人一人が何をすべきか、常に考え続けていきましょう。将来の世代に平和を引き継ぐために、私たちの行動が必要です。
直接、戦争に関与はしないけど、間接的に戦争に関与しているのです。あるテレビのコメンテイターが、日本に駐留する米軍を警備会社に例えていました。警備は金を払ってアメリカにやってもらえばいいと言うのです。
もう少し考えを飛躍して、殺人と言う犯罪に例えてみましょう。「あなたは、自衛のために殺し屋を雇っています。しかし、この殺し屋は他の人からも依頼を受ける時があります。そんな時にもあなたは、この殺し屋の旅先での衣食住の旅費を工面しなければなりません、これが契約ですから。」殺人罪には問われないかもしれませんが、それなりの罪に問われるでしょう。
「我々を守るために金を出す。実際の戦争はアメリカにやらせろ。我々は戦争に関わりたくない。戦争の援助もしたくない。ただ我々だけを守っていればいいのだ」だけで戦争反対するのであれば、あまりに自己中心的とはいえないでしょうか。戦争の敵も味方も人間は、みんな神によって創造され愛されています。
外部リンク 聖書は戦争について何と言っていますか? これによって、私たちが持つ戦争に対する理解を深め、よりよい未来を築いていくための参考にしていきましょう。
結論 日本人クリスチャンとして、戦争について答えるべき説明責任
戦争に関して日本人の特殊な倫理観、ダブルスタンダード的な道徳観を検証しました。少し突っ込んだ提言をしました。世の中がどんなに変わろうとも、人間が行う戦争は悪です。悪魔によってだまされた人間のわざです。私たちの神である主イエス様が、日本人に悔い改めの心を与えてくださるようにお祈りしています。
読者の皆様の上に、主キリストの尊い愛が注がれ、私たちが共に平和な未来を築けるよう、心よりお祈り申し上げます。戦争反対の姿勢を貫き、私たちが平和を実現するために努力していくことを誓います。
