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コンテンツへスキップ 投稿日:2025年8月25日/更新日:2025年11月16日

狭き門—大勢に流されない生き方

狭き門

狭き門—大勢に流されない生き方。私たち日本人は、ともすると「右へ倣え」、「長い物には巻かれろ」と、大勢に流されやすい傾向があると指摘される。“赤信号、みんなで渡ればこわくない”というのは、その典型ではないだろうか?

一方で、主イエスは「狭い門から入りなさい」と言われている。私たちは、時に、自己批判をしつつ、それぞれのケースにおいて、みこころならば、主の望む狭い門をくぐり、狭い道をこそ進みたいものである。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」     (マタイによる福音書7章13~14節)

狭き門

先日、亡くなられた茶道裏千家の家元だった千玄室さんは、「特攻の生き残り」としての忸怩たる思いを持ちつつ、茶道を通して平和を訴え続けたそうです。学徒出陣の際には、父親から茶道千家の始祖・千利休が無念のうちに切腹した際に使ったとされる名刀を見せられ、命を大切にせよとの無言のメッセージを受け取ったとも言います。

そんな千玄室さんは、その著書の中で、茶室の「躙り口」に触れ、次のように述べています。茶席では、武士や平民の区別なく、みな平等。茶室の入り口が「躙り口」と呼ばれ、狭く低いのは、武将に刀を外させるためだと。そして、千利休がそれを思い付いたのは、冒頭にお読みしたみことば「狭い門からはいりなさい」の一節からだという説があるというのです。・・・そんなところに、千玄室さんは、茶道と平和の関係を見たのかもしれません。

狭き門

と同時に、私(筆者)は思います。戦争中、多くの人々はある意味、「右へ倣え」、「長い物には巻かれろ」と、無批判に大勢に流されてしまったのではないでしょうか?つまり、広い門から入り、広い道を行ってしまったのです。私もそうしたかもしれません。

しかしながら、主イエスは、言われます。「狭い門から入りなさい」と。私たちは、時に、自己批判しつつ、それぞれのケースで、みこころならば、主の望む狭い門をくぐり、狭い道を進みたいものです。そこにこそ、主は同伴して下さるからです!

ところで、私の尊敬するキリスト者の一人、杉原千畝元外交官は、戦争前夜、リトアニア駐在中に、ナチス・ドイツから逃れて日本行きのビザを求めて来たユダヤ人たちに対して、なんと日本政府の命令に逆らって独断でビザを発給し、約六千人を救いました。この行為は、当時はまさに命懸けで、それはまさに大勢に流されない生き方そのものでした。時に、キリスト者はそのように、「狭い門」をくぐることが求められているのではないでしょうか?

最後までお読み下さった皆様、お一人お一人に、主なる神の祝福と平安が豊かにありますように!

御茶の水キリストの教会

野口 良哉

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