敵の中で輝くイエスの教えについて考えます。御霊に牛耳られた者をイエスは癒します。それを見ていた者たちの中に、イエスを悪霊の一味と中傷する者がいます。イエスは彼らの矛盾を明らかにします。また、イエスに敵対する者たちがいる、緊迫した場でイエスに好意的ことばを張り上げる女がいます。その女にイエスは答えます。幸いは、神のことばを聞き守る人たちです。
イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」ルカの福音書14-26節 聖書協会
癒された者に共感しない人
御霊なる神の注ぎを語られた直後、イエスは悪霊と対決します。求めなさい、と希望のみことばを聞いた弟子たちの前で、悪霊に口を牛耳られた者が癒されます。群衆は驚くが、なかにイエスが悪霊のかしらによって業を行っていると中傷する者がいます。イエスをためし、天のしるしを要求する者たちもいます。癒された者の喜びに共感するどころか、イエスに嫉妬する者や、あくまでも自分たちの気を晴らそうとする者たちがいます。
癒された者の喜びを無視し、自分たちの思いに囚われ、イエスを悪霊呼ばわりし、しるしを見せるよう迫ります。自分に固執し、癒された人々を無視する、罪深い者たちを見て、彼らのあわれみに欠ける態度にイエスは激怒して当然でしょう。しかし、彼らの心を見抜かれて言います。丁寧で、順序立てて語ります。

イエスの語り
国や家でも内輪もめしたら、いずれ立ち行かなくなります。サタンも仲間内で争ったらサタンの国も立ち行かないでしょう。もし、イエスがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているなら、イエスを批判、中傷する者たちを追い出す者はだれですか、と問います。彼らの批判では、仲間が彼らをさばくことになります。批判は矛盾を含んでいます。自分たちの矛盾が明らかになります。彼らの口が閉じ、沈黙する彼らにイエスは語りかけます。
「しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。」
彼らの誹謗中傷に、しかし、と彼らの見る世界とは異質な事が起こっていることを告げます。自分に拘泥する者の世界が虚しくなる出来事の開始を告げます。「わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、」と告げます。わたしを通して神が働き、悪霊どもを支配しています。神の国はあなたがたに来ているのです。そのしるしが悪霊追放です。
「強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。」
内輪もめから、強い人へ話が移ります。流れからすれば、強い人と称しているのは悪霊のかしらを暗示しています。しかし、より強い者が襲うなら、頼みとしていた武具が奪われ、戦利品も失われます。悪霊が暗躍する世で、もっと強い者、イエスが来るとき、悪霊は支配下におかれます。
勝利者イエスの味方以外は敵で、イエスとともに御国の子らを集めない者は人々を滅ぼし散らす者となります。イエスがはっきり、真っ直ぐに語る背後には、もっと強い者が必ず来て、勝利するという明確なご意志があります。いや、既にあなたがたの間に神の国が始まっている、と御国の王なるイエスが語ります。愛の迫りをもって、御国の子らになるよう語ります。
さらに語るイエス
それでも、自分に固執し、自分がことを治めようとする者たちがいます。御国到来を告げるイエスに耳を傾けず、その支配に委ねようとしません。
「汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」
汚れた霊を、自力で一時克服したかのように家を掃除し、すっかり清めたつもりでも、結局さらに悪い霊を七つも連れて来て、みな入り住むことになります。家の様子は以前よりもさらにひどくなってしまいます。イエス以外、悪霊に打ち勝てません。悪霊を追い出したのは御国の支配者、王なるイエスだけです。
イエスに嫉妬した者たち、しるしを求めた者たちは自力で清さを保とうとしたでしょう。それが悲惨な結果になるとイエスは明らかにします。悪霊から解放される道は、自分たちが家主となってふんばるのではなく、本来の家主であるイエスをお迎えすることです。ご自身のいのちを捨て、家を掃除し、住まれる、真の家主であるイエスを迎えるのが悪霊追放の道です。
幸いな人
イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」ルカ11章27-28節 聖書協会
イエスに挑戦する者たちの間から、好意的な発言をする者が登場します。周辺にはイエスに敵対し、こころみようとする者たちがいます。緊迫した場です。その場面でひとりの女が声を張り上げます。声を張り上げなければ届かなかったかもしれません。声を張り上げるほどの幸いだったのです。「あなたを生んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」女性ならではの宣言で、その通りだと思います。
「しかし、イエスは言われた。『いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。』」幸いは、血縁や、いかなる人間関係にもありません。幸いは、神のことばを聞いてそれを守る人です。イエス・キリストの愛のご支配に生きる者が幸いです。御国の民こそ真に幸いな者です。
