政治家の野次は、議会や公の場で頻繁に見られる現象であり、その影響や意義についてはさまざまな意見が存在します。野次は時に議論を活性化させ、政治的な対立を際立たせる手段とされる一方で、非礼や不適切な行為と見なされることもあります。本記事では、政治家のヤジが果たす役割やその正当性について、3つの観点から考察します。読者の皆様がこの重要なテーマについて新たな視点を得る一助となれば幸いです。
野次はお互い様という視点もあるが・・・
高市首相の所信表明の間、野次を飛ばしている立憲民主党に議員について、当初、党の代表である野田代表が「他の党もやっていることですから」とあいまいな受け答えをしていました。高市氏の話の妨害をして、野次を飛ばした立憲の議員は、野次は必要な仕事であると主張して弁明しています。
もし「他の党がやっているのだから、私たちも野次を飛ばしても許される」と国会議員の方々が考えているのであれば、何とも情けないと私は感じてしまいます。自分の行動基準を他人に委ねているわけですから。民主党が政権を担った時、自民党の議員たちは、さかんにヤジっておりました。自民党の方々の言動も見苦しい限りでした。

政治家は国民のリーダーであるという視点
確かに野次はお互い様ともいえますが、そこにはある一定のマナーと礼節が必要ではないかと私は思います。話を合いの手をいれるような野次であれば良いのですが、話を遮る野次を正当化する社民党や立憲民主党の方々は、「話に看過できない点があるからヤジる。これも立派な議員の仕事である」と主張しております。
単に主義主張が違うだけでヤジるのであれば、ただの子供に過ぎないように私には思えます。国会議員の方々は、選挙によって選ばれたリーダーです。自分に一票を入れてくれた人だけのリーダーだけであっては、あまりにも政治家として料簡が狭すぎます。主義主張が違う人も取り込むことができるような大きな度量をもった政治家がいないから、このような論争になっているのではないでしょうか。左の人も右にいる人も、吠えれば吠えるほど、自分たちの料簡の狭さが露呈しているように思えます。
21世紀に入り、混迷の時代に突入しました。このような時代だからこそ、国を平和的に健全な方向へと一つにできる真のリーダーが求められているのではないでしょうか。真のリーダーとは、どんな人でしょうか。人類の歴史上、多くのリーダーがこの世の中で活躍をしましたが、その中にはヒットラーの様な人をたくみに洗脳する人たちもいました。そのようなリーダーではなく、人間のために共通の利益と和をもたらしたリーダーには、共通した資質と礼節があります。主イエス・キリストに、そのリーダーの資質をみることができます。

主イエス・キリストに見るリーダーの資質と礼節
「政治に宗教が介入していいのか?」という疑問を持つ方もいらっしゃるかたと思います。政治家は、キリストを信じるクリスチャンであるべきなどと主張するつもりは毛頭ありません。欧米において、様々なリーダーシップの本や啓発本が書かれてきましたが、そのほとんどが著者はクリスチャンではなくても、その考え方は聖書からきているのです。その意味で政治家の方々にも、主イエス・キリストにリーダーの資質を見ていただきたいと思います。
真のリーダーは謙遜であり謙虚である
主イエス・キリストは、地上で生きている間、決して自分を高めるようなことはしませんでした。天から降ってきた神の子でしたが、決しておごらず高ぶらず、常に謙遜でありました。この謙遜は、遠慮や消極的な態度と同じではありません。謙遜とは、その人の内に秘める自信の裏付けです。主イエス様は、完全な信仰によって父なる神様を信頼していました。この信仰によって、主イエス様は謙遜な態度を保ったのです。
たとえ、父なる神様を信じていなくても、内在している信仰によって人は謙遜になれます。信仰告白をしていなくても、神の祝福を心で感じることが出来る人が、真のリーダーになれる方だと私は思います。しかし、日本の政治では、違った意見をもつ人を敬うこともなく、容赦なく攻撃、誹謗中傷します。このような誹謗中傷している人は、リーダーになれる資格を自ら放棄しているのではないでしょうか。頭ごなしに相手の意見を否定して、建設的な意見交換ができない人に、他の人をリードしていく能力などないと思います。
真のリーダーは他の人の自由を敬う
真のリーダーは他の人の自由を敬います。たとえ違った意見をもっているひとに対しても、礼節をわきまえて行動します。ある政治家の方が、敵対する人に対して人格否定に近いような表現で批判しているのを見受けますと、日本の将来は危ういかもしれないと私は思ってしまいます。このような方々に、国の将来を託しているのでしょうか。
主イエス・キリストは、愛によって真理を伝えました。その言葉には愛と憐みが満ち溢れていました。ユダヤ人たちが攻撃してきても、主イエス様は毅然とした態度で接したのです。昨今の政治家の方々は、人を批判するのは天下一品ですが、いざ自分が政権を担う立場に立ったり、批判される立場になると、しどろもどろしてしまうのは残念です。10年以上前に、民主党が自民党にとって代わって政権を取った時ほど、政治に期待した時はありません。しかし、数か月で絶望に変わりました。

真のリーダーは、良い手本によって人々を導く
「人の話を遮っても野次は政治家の仕事であると明言した立憲民主党のは議員は、ご自分がリーダーであることを認識しておられるのでしょうか。真のリーダーは、良い手本で導きます。この議員を支援している人たちは、おそらく自分たちも人を誹謗中傷するような野次をとばしてもいいのだと考えるでしょう。
「子供は親の背中を見て歩く」と言われますが、リーダーとフォロアーの関係も同じです。完璧に行動できる人などこの世にはいませんが、少なくとも「このような人になってみたい」と思わせる人格者はいます。そのような人は、謙遜であり自分の過ちを認められる人であり、毅然と真実を語れます。人に対する愛と憐みに満ち溢れている方ではないでしょうか。主イエス・キリストは、すべてにおいて私たちのお手本です。政治家の方々も聖書を読み、主イエス様に学んでくれたら・・・。
政治家にも知って欲しい主イエス様のリーダーシップ
政治家の野次を見聞きするときに、日本の将来を考えさせられ憂いを覚えました。政治家の方々は、ご自分たちが日本社会の未来を担っているリーダーであるという自覚がないのか、または自分の主義主張のために盲目的になっているのか、どうなのでしょうか。右を見ても左を見ても、そのような大きな度量を持った方は、政治家たちの方には見当たりません。
日本の社会にもっとも必要はものは何でしょうか。主イエス様を信じる、信じないは別にして、私は主イエス・キリストの教えが少しでも日本社会に浸透していきますように、日々祈っています。主よ、政治家の人たちの中で、どうかあなたによって用いられる人を起こしてください。
- 礼節は人をつくる
- 政治と宗教の関係 キリスト者の3原則
- 憲法という希望とキリストにある希望
- 外部リンク 「そもそも、なぜヤジるかわかりますか」

お祈りに感謝します。主によって立てられるリーダーが、主によって導かれ、この国を正しい方向に行くようにしてくださいますように。
主イエス・キリストは、すべてにおいて私たちのお手本です。政治家の方々も聖書を読み、主イエス様に学んでくれたら・・・。
↑
本当にそう思います。
相応しいリーダーを主が立ててくださいますように。祈。