キリストの弟子であるクリスチャンが、必ず認識すべきまた理解するべき意味だと思います。この記事では、旧約聖書の預言、主イエス・キリスト自身の預言から、主イエス様の十字架のミッションを説明します。また別の記事では、キリストの十字架の意味をもっと掘り下げて解説します。
イエス・キリストの十字架の死。キリストの犠牲によって人の罪が赦された理由は何でしょうか。約2000年前のこの歴史的な史実を、1世紀の歴史的背景と共に聖書の観点から検証し、キリストが人間の罪のために死んだ意味を考えます。
十字架の歴史的背景
十字架刑は、古代ヨーロッパでは古くから行われていた死刑の方法でした。古代ローマ帝国においても、この慣習は引き継がれていました。極悪人を罰するためのもっとも痛みを伴う死刑の方法でした。 大きな2本の木は十の字に打ち付けられ、十字架は造られます。 死刑囚はその十字架を担ぎ、処刑場まで行きます。十字架に横たわります。両腕を横に伸ばし、手が十字架の横棒に縛り付けられ、釘が手に打ち付けられます。 そして足は縦棒の下に縛り付けられるか、または釘が打たれます。
死刑囚が張りつけになった状態から、その十字架を文字通り十字に見えるように立て上げて、地面にその十字架を打ち付けるのです。 このようにしますと、十字架に打ち付けられている人は、胸を持ち上げなければ息が出来なくなります。 手には釘が打ちつけられていますから、自分の胸を持ち上げるには、想像を絶するの痛みを伴います。この残酷な痛みとともに、死刑囚は生き絶えていくのです。
旧約聖書の預言
キリストの十字架の死刑を、旧約聖書は預言しています。旧約聖書の中で、明らかにイエス・キリストの十字架の死を預言している聖句があります。イザヤ53章2-12節を読んでみましょう。
神の御心によって召され選ばれた方、この方は人間が誇りとするようなものは持っていないと預言されています。さらに、この方は人間の罪の身代わりとなって死ぬ、と預言されています。この予言通りに、御子イエス・キリストは神の御心によって人に蔑まされ痛めつけられました。人々に打たれ腹は刺し貫かれて死んでいったのです。
イエス・キリストは、「天の御国は近づいた」と言って宣教を始めました。しかし、この宣教の言葉は、キリストの十字架を預言している序章でした。主キリストは、天の御国はどのようなものかをたとえ話で説明し、また天の御国での民の生き方を身をもって教えたのです。しかし、キリストの十字架の死と復活までは、天の御国は成就しませんでした。
主イエス・キリスト自身の預言
メシヤには、ヘブル語で神によって油注がれた者という意味があります。ギリシャ語では、キリストが同じ意味を持っています。イザヤ53章が預言しているように、メシヤ(キリスト) が、イスラエルの民のために犠牲になるのです。
ご自分のミッションを知っていたイエス・キリストは、自分自身の十字架の死を預言しています。ルカ9章21-22節を読んでみましょう。
主イエス様のミッションは、「天の御国が近づいた」で始まりましたが、十字架の死と復活によって御国が成就されたのです。しかし、十字架に行く前まで、主イエス様は最後まで祈り続けたのです。マタイ26章36-45節を読んでみましょう。
主は「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈りました。この杯とは、十字架の死を指しています。主イエス様は、ご自分のミッションが十字架で死なない限り成就しないと知っていたのです。そして、主イエス様は十字架につけられ「成し遂げられた」と言って息を引き取られました。
罪が人を支配する世界
キリストの十字架は、人間の罪のために行われた神の御業です。おそらく、クリスチャンではない人にとってはもっとも不可解な教えに聞こえるでしょう。
アダムとエバが悪魔であるサタンにだまされて以来、罪が世界に入り人間は罪が支配する世界に生きるようになりました。罪は人間社会のすべてに影響を及ぼしています。人は、真実の神を礼拝せずに偶像崇拝をするようになりました。人は隣人を省みない自己中心的な思いを持ち行動してながら、そんな自分を素直に好きになれない矛盾した存在になってしまいました。劣等感から解放される新しい人生観
自己嫌悪と自己中心の狭間に人間は生きながら、人間関係をも破壊してしまったのです。壊れた人間関係は、いつの時代でもどの文化でも世界のどんな地域に行っても観察できます。
この罪深い世の中で天の唯一の神は、古代中東においてアブラハムという人を選び、紀元前1500年頃その子孫たちイスラエルの人々と契約を結びました。この契約が旧約聖書に啓示されている旧い契約です。
人の罪のためのいけにえ
旧い契約
旧い契約では主なる神は、イスラエルの民を契約を結んだ際に生活の決め事である律法を与えました。一番大切な律法は、イスラエルの民にとって主なる神以外、神は存在しないということでした。創造主なる神、YHWHだけを信じ礼拝することが、イスラエルに課せられた契約です。
すべての人間が罪びとであるように、イスラエルの人々も罪を負っていました。神は、イスラエルの罪を贖うために、いけにえの献げることを律法に定めたのです。罪を犯すたびに、彼らは羊をいけにえとしてささげました。罪の報酬は死です。本来ならば、人は自分の罪のために死ななければなりませんが、神はイスラエルの民を憐み、彼らの罪の代償として羊をいけにえとして受け入れたのです。
新しい契約
次に新しい契約について考えてみます。イエス・キリストは、「天の御国は近づいた」と言って神の御心を教えるために宣教を始めました。このメッセージは、1世紀のユダヤ人たちだけに伝えられたのではなく、全人類への宣教されるべく今日でも息づいています。
最後の預言者として主キリストは福音を宣教するために天から降りてきましたが、もう一つ大きなミッションがありました。それは、ご自分が人間の罪のいけにえとして十字架で死ぬことでした。旧約聖書の律法に従って、主は死にました。イエス・キリストを信じる者は、その信仰を通して神の恵みによって罪が赦されて神の子供として受け入れられているのです。
キリストを信じる前は罪の中で生きていた人は、神に敵対する存在でしたが、今は神から平安と喜びをいただいています。
罪は十字架につけられ断罪された
キリストの十字架に関する神の御心は、人間の罪を赦すだけではありませんでした。人間の罪は、悪魔によってもたらされた罪として十字架につけられ断罪されたのです。つまり、キリストについて行く人の罪が、(比喩的ですが)十字架に打ち付けられたのです。その結果、クリスチャンは罪に縛られない生き方が出来るのです。
しかし、キリストの死を見た悪魔は何を考えていたのでしょうか。ここでサタンである悪魔の働きを考えてみてください。死は悪魔によってもたらされました。死も病も間のすべての苦しみは、究極的に悪魔によってもたらされました。
サタンである悪魔は、力なく死んでいったキリストの死を見て喜んだでしょう。神の子である方を死に追いやり、無力な形で死んでいったのですから。悪魔の勝利は3日間で終わってしまいます。主キリストは死んだ3日目に死から復活されました。イエス・キリストの復活が大切な理由
今主イエス・キリストは、父なる神と人間を仲介大祭司として天におらます。天の父なる神の右の座に座っておられます。人生の師としてこの方に従い生きていくことが、人間の本分だと私は思います。
まとめ
神様は、イスラエルと旧い契約と結びました。その契約は終わりました。新しい契約は、イスラエルだけでなく、イエス・キリストを信じるすべての民族と結ばれました。神様が結ぶ新しい契約の特徴は、罪の赦しが与えられることです。
聖霊の約束と同様に、罪の赦しも神様の恵みです。旧い契約では、罪を犯すたびにイスラエルの人々はいけにえを捧げていました。祭司自身も、自分の罪のためにもいけにえを捧げる必要があったのです。
しかし、新しい契約では、主イエス・キリストが全人類の罪を負うために、一度身を献げられました。主イエス・キリストを信じる人は、罪が赦され永遠の命を受けると約束されています。
旧い契約では、イスラエル人ではない異邦人たちは、この罪の赦しの祝福を受けることはありませんでした。しかし、新しい契約では、人種、文化、国籍を超えて主イエス・キリストを信じるすべての人間に、この約束が与えられています。与えられた聖霊によって保証されているのです。
