新約聖書の背景として、ローマ帝国の道徳観を学ぶことは、新約聖書をより深く学ぶために非常に重要です。
道徳感が低い社会
ローマ帝国の社会は、非常に道徳感が低かったのは明らかです。モラル観の低下は、当時使われていた表現「パンとサーカス」に現れています。人の人生は、人間の欲望(情欲、性欲、食欲など)を満たせればいいと考えられていました。これらの道徳感の低下は、ローマ1章18‐32節に描写されています。
グラディエーターのような人間どおしの戦い、また人間と野獣との戦いは、娯楽として楽しまれていました。このような残酷さは、十字架のような死刑のやり方にも現れています。人々は、キリストの十字架の残酷な死を見て、内心楽しんでいたのかもしれません。
宗教は、道徳観とはまったくつながっておらず、むしろモラルの低下を示しています。ローマ・ギリシャ宗教の偶像礼拝は、人々のモラル観を無に等しいものにしてしまいました。またそれらの偶像の宮には、多くの娼婦たちが、偶像の御利益に関係づけて、売春を行っていました。また同性愛は、ギリシャ社会では珍しい事ではなく、一般的に行われていたようです。10代の男子は、年上の男性に誘われ同性愛になっていきました。
哲学者とユダヤ教の影響力
社会のモラル観はどこにあったのでしょうか。ローマ・ギリシャ宗教には、迷信的な信仰はあっても、善悪を示す基準はまったくありません。哲学者たちは、社会のモラルの低さを嘆き、不道徳な行いを実践する人たちを軽蔑していたのです。しかし、その影響力は社会を変えるほどのものではありませんでした。哲学者同様に、敬虔なユダヤ人たちも、異邦人たちのモラル観のなさを蔑んでいました。
ギリシャ哲学に魅力を感じない人たちは、社会のモラルのなさに嫌気をさし、ユダヤ教に魅力を感じていました。これらの人々は「神を畏れる人々」と評されています。彼らは、ユダヤ教の神を崇め、ギリシャ宗教の神々を否定していたのです。そればかりではありません。ユダヤ教会堂に献金をして、礼拝にも出席していました。使徒行伝にもこれらの人々が出てきます。神を畏れる人々(10章2節、13章6節)、神を崇める人々(13章43節、16章14節、17章4節、18章7節)として説明されいます。
哲学者たちは、人間関係を3種類に分けて考えています。夫と妻、親と子供、主人と奴隷の3種類です。この世界観は、新約聖書にも使われています。たとえば、エペソ5章21-33節は夫と妻の関係、6章1‐4節は親と子供の関係、6章5-9節は主人と奴隷の関係について書かれています。コロサイの手紙も同様に3つの関係について言及しています。
結論
以上、手短にローマ帝国の道徳観をまとめてみました。この文化的背景は、特にパウロの書簡を読む時に役にたちます。また、1世紀のローマ・ギリシャ宗教の背景と哲学の背景も、手紙、書簡を理解するために非常に重要なテーマです。この2つのトピックについては、別枠で記事にして解説します。もし疑問などありましたら、コメント欄にお願いします。
新約聖書の背景
- 使徒パウロの宣教とその背景
- 新約の背景と1世紀の哲学
- ローマ帝国の家族構成
- 古代ローマ帝国の経済社会
- 古代ローマ帝国の階級社会
- 新約聖書の背景とユダヤ教の発展
- 古代ローマ帝国の宗教
- 新約聖書の背景とユダヤ教の信仰と行い、
- ユダヤ教の発展と教派
- 新約聖書の背景と中間時代
- 外部リンク ローマ帝国
参考文献
- Ferguson, Everett. Backgrounds of Early Christianity, 2nd ed. Grand Rapids: Wm B. Wwedmans, 1993.
- 桜井万里子、木村凌二。ギリシャとローマ。世界の歴史、第五巻。中央公論社、1997年。
- 村川堅太郎。ギリシャとローマ。世界の歴史、第二巻。中央公論社、1995年。
- 島田誠。古代ローマの市民社会。山川出版、1997年。