聖書を学ぶ目的、学ぶ理由

「聖書を学ぶ目的」というテーマで、中田キリストの教会の伝道者 前田文夫さんに寄稿していただきました。

聖書を学ぶ目的は、信仰であって知識ではありません

1.大切なことの第一は、動機が純粋であることです

もし罪の赦しと魂の平安を信仰に求めるならば、それは必ず与えられます。しかし、この世的な利益、例えば単に知識とか、商売繁盛とか、結婚とか等のために信仰を学び、あるいはバプテスマを受けるとすれば、それは動機の不純の故に真理を見出すことは出来ないでしょう。

2.第二は誠実な心です

人間同士の交際でも大事なことは誠実さです。まして信仰は、神と交わり御子キリストを知ることですから、誠実な心がなければ、到底真理を知ることはできません。

3.第三は忍耐です。

神は真理を啓示されるため、しばしば私たちを悲しみや苦しみの渕に投げ入れます。「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル10:36)。

聖書を学び続ける

聖書には分らないことが多く、疑問にぴったり答えてくれないことがあります。その時、失望して聖書を学ぶことを止めてしまってはなりません。分らない所は性急に答えを求めず、一時心の奥にしまっておき、今わかるだけの知識と神への感謝の心をもって忍耐して信仰の生活を続けることです。信仰の経験を重ねるにつれて先の疑問もいつか苦にならなくなり、それがはっきり解決できなくても、神に委ねて心は平安になります。

聖書の最高の教師

聖書の最高の教師は、聖霊です。私たちは聖霊の助けを意識しないことがありますが、聖霊は各自の求めと程度に応じて真理を啓示されます。誰も聖霊の助けなしに真理を知ることはできません。終わりの日に至って、私たちの目に明らかにされない真理は一つもないでしょう。「すべて求める者は得、捜す者は見出し、門をたたく者は開けてもらえるからです。」(参照マタイ7:7)。

 中田キリストの教会 伝道者 前田文夫