コンテンツへスキップ 投稿日:2022年6月15日/更新日:2024年12月17日

聖書解説サイトについて

サイト運営 横田キリストの教会
管理者:野々垣 正信

住所・連絡先: 197-0003 東京都福生市熊川1148-3、電話:042-513-3838

聖書解説サイトの理念と目的

「聖書解説サイト」(以下、聖書解説)は、当初「キリストって誰ですか」というタイトルで2000年に始められました。その後、bible-room.orgというドメイン名を使っていました。さらに2008年に新しくドメイン名intro-bible.infoをとり現在に至っています。

聖書解説は、聖書を神のみことばと信じ創造主なる神である父なる神、子なる神、聖霊なる神を信じ、神の民に臨在する聖霊を信じる信仰に基づいて作られています。 聖書入門の理念は、16世紀の宗教改革の流れから18世紀ヨーロッパ及びアメリカにおいて起きた「復帰運動」―みことばに立ち帰る運動―に端を発しています。ここのページでは、一般読者になるべく分かりやすく復帰運動の歴史と理念を説明していきます。 さらにその理念がどのように聖書の解釈と教会(キリストのからだ)に適用できるかを解説していきます。

聖書入門は、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって成就された「救いの計画」に忠実な僕として、上記の「みことばに立ち帰る」理念に基き主イエスが再臨する時まで日本の隅々まで、また世界中にいる日本人に福音のメッセージを伝える責務を負っています。

復帰運動の歴史

ルネッサンス(15世紀ー16世紀)は、ヨーロッパのあらゆる生活分野(学術分野、芸術分野、宗教分野)に影響を与えました。ルネッサンスはキリスト教に宗教改革(16世紀初頭)という波を起こしたのです(関連ページ カトリックとプロテスタントの違い)。宗教改革によって聖書が一般市民の手に渡りそれぞれの信者が聖書を学ぶ環境が整えられましたが、同時に多くの教派(新たな分派、分裂)が誕生する弊害も出てきたのです。各教派ごとに信条をつくりまたそれが伝統となり、その系列にある教会を縛り付ける環境はカトリックの時代と変わりませんでした。また国と教会が密接な関係を持っている状況も変わりはなかったのです。そんな環境の中で18世紀初頭には、教派の信条や伝統に捉われない、純粋に聖書に基づく教会つくりを始めようとする人々がヨーロッパ各地にいたのです。これが復帰運動のさきがけとなりました。

17世紀ー18世紀ヨーロッパでは、多くの人たちが経済的、宗教的な自由と独立を夢見てアメリカ新大陸へと移住をしていたのです。当時のアメリカ移民には、いい意味でも悪い意味でも宗教に目覚めた人たちが多くいました。(アメリカのモルモン教はこの当時生まれました。シェーカーという異端クリスチャン・グループもこの当時出てきています。また後にエホバの証人グループも1872年には誕生しています。)

このような宗教的自由を求める環境下で(まだアメリカは13州しかありませんでした)アメリカ各地で同時多発的に「聖書に基づいた教会を!」という運動が起きたのです。ジェームズ・オケリー(メソジスト、N.カロライナ、1735-1826)、エライアス・スミス(バプテスト、ニュー・ハンプシャー、1769-18??)、アブナー・ジョーンズ(バプテスト、マサチュッセツ、1772-18??)、バートン・W・ストーン(長老派、ケンタッキー、1772-1844)、トーマス・キャンベル(長老派、1763-?)、アレキサンダー・キャンベル(長老派、ペンシルヴァニヤ、1788-1866)といった人たちが聖書を基準とした教会を合言葉に教会を始めました。ではその理念、考え方を説明します。
注:トーマス・キャンベルとアレキサンダー・キャンベルは親子。

聖書の御言葉に忠実に

聖書がすべての判断基準になります。教会内、教会外でもすべての生活の基準です。神の御言葉によって生きることこそ、クリスチャンの使命であると考えています。

御言葉に忠実にという考えが強くありすぎて、時には律法的に聖書を解釈する傾向が過去にありましたが、今はその過ちにも気づき始めています。聖書が裁きの判断の基準である(ヘブル4章12節ー13節)と信じていますから、御言葉に忠実であろうとする態度には変わりはありません。

私たちは小さな群れですが、それでも多くの聖書学者を世に輩出しています。またクリスチャンの間では良く知られている説教者たちも(マックス・ルケード、リック・ウォレンなど)もこの復帰運動から輩出されています。

信仰と自由な意見交換

復帰運動の一人のリーダー、トーマス・キャンベルは「聖書が語るところを語り、黙するところでは黙する」と唱えました。またある他のリーダーは「信仰においては一致、意見においては自由、すべてにおいて愛」と唱えました。(元々は、1627年ヨーロッパで続いていた30年戦争のさなかに、平和と和解を望むドイツ人Peter Meiderlinがトラクトに書いたと言われています。)

聖書に啓示されている明確な点においては質問の余地がありません。しかし、解釈があいまいな部分、難解な部分においては自由な意見交換が出来ます。

教派の式文や教理問答などのようなものはありませんので、すべての基準は聖書にあります。その聖書をどのように解釈するかも一人一人の権利であり責任でもあります。解釈があいまいな部分では、教会は一信者の意見を否定する権威を持ち合わせていませんので、むしろ活発な議論も可能になるのです。

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