キリストを信じてもクリスチャンにならない理由は何でしょうか。その理由を聞いてみました。1.自分を捨てるなんて無理、2.人間付き合いが狭くなる、3.私は宗教にはまりたくない、4.私には信仰を守り抜く自信がない、5.自分の人生が否定されているような気がする、6.親戚付き合いが出来なくなる。しかし、残念ながらこれらの方々は、主イエス様の教え「自分を捨てる」意味を誤解していました。
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クリスチャンにならない理由がこの聖句にある
実はすべての理由が次の聖句に起因しているのです。
それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
マルコ8章34節ー37節
私が聖書を学んできた人たちの間でクリスチャンにならなかった方々は、すべて上記の聖句にひっかかりました。この聖句の意味に納得しませんでした。6つの理由を具体的に書きましたが、要するに「自分を捨てる」という概念に合点がいかなかったようです。
キリストを信じてもクリスチャンにならない6の理由
1.「自分を捨てるなんて無理でしょ。結局、最後は自分しか頼れないでしょ」
「自分を捨てる」という意味を次のように考えた結論です。
- 「自分を捨てる」は、自分の存在を否定するという意味である。
- 家族も家も、両親、兄弟、子供もすべて捨てるという意味である。
- 自分の財産、仕事、地位、すべてを捨ててキリストについて行くという意味である。
「こんなことはできないし、結局、自分しか頼るものはないのだから、そっちの方がいいでしょう」が、この方の結論でした。
2.「人間付き合いが狭くなるから、クリスチャンにはなれない」
ある人が、「今までお付き合いしてきた親しい友人たちを裏切るなんてできない。その人たちといっしょに遊んだり、飲みに行ったりしたいから。すべて捨てるなんてできない」と言っていました。この理由も非常に一般的な理由です。
3.「私は宗教にはまりたくないので」
カルト宗教の恐怖は、オウム真理教を通して日本中を震撼させました。そのせいもあって、多くの方々は宗教にはまりたくないと考えています。宗教というかたちでクリスチャンになるよりは、もっと自由でいたいと考えているようです。
4.「私には信仰を守り抜く自信がない」
「すべてを捨ててキリストについて行く勇気がない。きちんと信仰を守り通せるかわからない。自信がないです」とおっしゃっている人がいました。クリスチャンになることは、人生の一大決心です。だからこのように真剣に考えてくださったのでしょう。
5.「自分の人生が否定されているような気がする」
イエス・キリストが言っている「自分を捨てなさい」という言葉を読んだとき、ある人は私に言いました。「自分の今までの人生が否定されているような気がする。自分の努力、自分の生き様が否定されている。キリストが言っている意味はわかるけど、でも私にはできない」と。
6.「親戚付き合いが出来なくなる」
「もし自分がクリスチャンになったら、自分の親や親戚がどのように思うだろうか、心配です」とある人は言っていました。宗教が家系という形で息づいている日本社会では、現実的な話です。さらに日本には家長制度、長男が家を継ぐ慣わしがあります。長男が家系の宗教を守れないなど考えられないでしょう。
主イエス様が教える「自分を捨てる」意味と実践の結果
「自分を捨てる」と聞いて、多くの人たちは直感的に「無理」と答えてしまいます。ここではもう少し深く主イエス様の教えの意味を考えてみましょう。真意は何でしょうか。
1.自分の人生哲学と考えを一度白紙に戻し、主イエス様に従って生きる
自分を捨てるとは、自分の存在をなくしてしまうような意味ではありません。自分の生き方を顧みて、自分の人生哲学や考えを捨てて、人生を一度白紙に戻します。人生を再出発するために、人生を白紙に戻すのです。主イエス様が新しいロードマップを用意してくださいます。そのロードマップに従って歩んでいきます。
主イエス様によって造り変えられる自分
「個性がなくなってしまうではないか」という人がいますが、ちょっと考えてみてください。個性にも良い悪いがあります。怒りっぽい性格の人が、怒って人に怪我をさせてしまったらどうでしょうか。その個性は矯正されるべきでしょう。私たちが自分を捨てるとき、主イエス様が私たちを変えてくださるのです。私たちは、粘土のような存在です。神様が、私たちをこねて、健全な人格の人間に変えてくださるのです。
主イエス様によって、自分の新しい個性が活かされる
主イエス様が私たちを造り変えて下さるプロセスを経て、私たちは新しい人生を始めます。新しい能力、新しい人格が与えられます。ここに新たな個性が生まれるのです。個性が活かされる存在になるのです。
2.主イエス様の基準で人生の優先順位を決める
人生は選択の連続です。何を選ぶのか基準が決まらない間は、風に流される風船のように、人生がこの世の流れに流されるままになります。方向性がまったくありません。しかし、主イエス様を信じ自分を捨てれば、主イエス様の基準で人生の優先順位を決めていくのです。
- 向上心で前向き人生の4つの原則
- 外部リンク 人それぞれ人生の優先順位は違います。次のサイトも参考に。自分の人生での優先順位
人生の軸足を主イエス様に置く
つまり人生の軸足を主イエス様におくのです。主イエス様に引きずられるままに自分の自由がなくなってしまうようなイメージを、「自分を捨てる」に抱く方がいますが、まったく正反対です。自分の2本の足で立ち人生を歩んでいきます。軸足には主イエス様がいてロードマップを書いてくださっています。主イエス様が、私たちの人生を導いてくださっているのです。
3.主イエス様の教えに従い隣人愛を実践する
対人関係では、主イエス様の隣人愛の教えを実践します。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」を心に刻み日々の生活をおくります。友人との付き合いも親戚との付き合いも、この教えがベースになります。そうすると、何が起きるのでしょうか。結果的に、人間関係の幅が出来ます。より良い友人関係ができます。親戚付き合いも継続できるのです。
4.主イエス・キリストの教えを杓子定規に考えてはいけない
「自分を捨てる」を杓子定規に考えずに、主イエス様の真意は何かを考える必要があります。このとき自分に対して少し忍耐が必要です。すぐに結論を出す必要はありません。なぜなら、主イエス様の教えは奥が深いからです。ちょっと聞いただけで結論が出すべきものではありません。主イエス様の教えは、私たち人間の一生の課題を問いかけています。だから熟慮が必要なのです。
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