コンテンツへスキップ 投稿日:2023年1月17日/更新日:2023年5月5日

ローマ1章12節。信仰によって励まし合う

互いに励まし合う

ローマ1章12節に書かれている「信仰によって互いに励まし合う」意味を、教会における人間関係と共に考えます。

「信仰によって励まし合う」本来の意味 

お互いの信仰によって励まし合うとは、信仰の押し付け合いではありません。聖書の教えを討論する場でもありません。

天の御父様なる神様は、主イエス・キリストを信頼する人の人生で働いてくださています。主を信じて生きている人に働いています。その人の人間性も生活習慣も、良い方向に変えてくださり、導いてくださっています。私たちは、お互いの変化に気づきます。主イエス様によって、新しく造り変えられている事実に、お互いに気づくのです。他の人の健全な信仰を垣間見て、主イエス様を信じることが本当に正しいことだと確信を持てます。「これは間違いない。主イエス様を信じることが、最善の生き方である」と改めて確認できるのです。

聖書の中に、「悲しむ者といっしょに悲しみなさい。喜ぶ者といっしょに喜びなさい」という言葉があります。つまり、クリスチャンの人間関係は、「あなたの幸せが私の幸せです。あなたの悲しみは、私の悲しみです」とハッキリと言える関係です。主イエス様は、一番大切な戒めとして、「主なる神を愛すことと、隣人を自分のように愛しなさい」と教えています。また、主イエス様は、「わたしが愛したように、お互いに愛し合いなさい」と私たちは教えられています。

神様の愛が、私たちを結び付けているのは間違いありません。では、具体的に、隣人愛をどのように実践できるのでしょうか。主イエス様が愛したように、愛すとは、どのような意味なのでしょうか。「お互いの信仰によって励まされる意味」とともに考えてみます。このクリスチャンの人間関係が、具体的に書かれている箇所が聖書にはあります。ガラテヤ6章1‐10節を読んでみましょう。この聖句から、クリスチャンの人間関係について、3つの原則が見つけることができます。

1.他の人の重荷を負ってあげる

クリスチャンも、罪人なる人間に過ぎません。だから、罪に躓くことがあります。そのような人を見たら、その人を裁くことなく手を差し伸べてあげましょう。その人の重荷をいっしょに背負ってあげるのです。いっしょに祈ることもできます。その人の話を静かに聞くだけも良いでしょう。そばに寄り添って、支えてあげる必要があります。

私たち人間は、クリスチャンになっても弱いのです。一人では背負いきれない人生の重荷があるかもしれません。誰かに手伝ってもらわなければ、ダメな時があっても、何も恥ずかしく思う必要はありません。

クリスチャンの人間関係は不思議な関係です。主イエス・キリストへの信仰によって、お互いに助け合うことができます。助ける方も、助けられる方も、主イエス・キリストに感謝します。これこそ、お互いに愛し合うことの第一歩ではないでしょうか。

2.自分の責任を知り、自分の重荷を負う

しかし、健全なクリスチャンは、自分の責任を知っています。自分の重荷を負うべきことも知っています。自分が出来るのに、やらない人は怠け者であり愚か者である、と聖書は教えているように、それでは成長がありません。

他の人が、自分のために何か助けることができます。しかし、他の人が、自分の代わりになって生きることはできません。他の人が、自分の間違いや過ちの責任を負うこともできないでしょう。自分が蒔いた種は、自分で刈り取ることになる、と決められているです。自分の責任は、自分自身で負うように、神様が定めています。

主イエス様は、私たちの罪のために責めを受けました。しかし、それは私たちの罪が神様によって赦されているという意味です。罪の贖いがなされたのです。しかし、この世での人生の責任は、私たちが生きている限りあるのです。「自分が蒔いた種は、この世で自分が刈り取ることになる」のは、神様が定めた人生の原則です。

現代社会は、責任転嫁の時代かもしれません。自分の過ちを他人のせいにする風潮があるように思えます。しかし、健全なクリスチャンは、そんな流れに振り回されてはいけません。神様が教える原則によって生きていく必要があります。

3.自分の境界線を知り、他の人の境界線を知る

3つめの原則は、自分の境界線を知り、他の人の境界線を知ることです。これは、「隣人を自分のように愛しなさい」の原則に基づいています。善意で言うのであれば、何でも言って良いなんてことは、決してありません。一人一人には、個人の境界線があります。神様が定めた、一人一人の人間を敬う心です。お互いに受け入れ合い、お互いに愛し合い、お互いに尊敬しあう心です。主イエス様が、常に間に入っている人間関係です。

主イエス様は、私たちの境界線を大切にしています。無理やり、力づくで、私たちを信じさせるようなことは、決して主イエス様はしません。常に愛に満ちた暖かい言葉をかけてくれます。しかし、同時にそれは現実を見据えた厳しい言葉です。「もしあなたがわたしについて来たいと思うのであれば、自分を捨て、十字架を負い、わたしに従いなさい」と教えられています。

主イエス様は、私たちの自由意志を尊重しています。私たちの心に、土足で入るようなことなどしません。私たちの人間性を尊重しています。私たちの人間関係にも、同じことが言えるのではないでしょうか。人間は簡単に「あなたの信仰が弱いから、あなたはすぐ落ち込むんだよ。そんなじゃダメだね」と蔑むようなことを言ってしまいます。しかし、主イエス様は「信仰が弱い者よ」と言いますが、それは愛に満ちた言葉です。「だから、わたしを信じて生きなさい。わたしがいっしょにいるから、大丈夫だよ。わたしについて来なさい」と言ってくれる愛の言葉なのです。

お互いの信仰に励まされ、善に励みましょう

ここまでまとめてみます。お互いの信仰によって励まされるというのは、お互いが主イエス・キリストによって成長しているのを、垣間見て成されるのです。お互いが、主イエス・キリストにあって、新しく造り変えられているのを見る時に成されるのです。

だから、パウロは「お互いに善を励もう」とガラテヤ書で書いています。主イエス様が中心にいる人間関係には、「自分のように人を愛する心」が宿っています。常に相手に対して、最善を思う人間関係があるのです。今日も、主イエス・キリストによって、お互いの信仰によって励まされながら、この人生を歩んでいきましょう。

ローマの手紙からのメッセージ

ローマ人への手紙の歴史的文化的背景古代ローマ教会の成り立ち信仰によって互いに励まし合う神様は人を裁かず待っている神様の裁きの基準罪深い人間にも希望がある新しい契約の要信仰義認の法則キリストによって成長する狂った世の中での希望死んで新しく生まれる意味クリスチャンの違った意見ローマ人への手紙の著者 使徒パウロの信仰と人格信仰とは何か 信仰は心の叫び、外部リンク 人間関係に疲れた時、クリスチャンが持つべき4つの原則

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