罪にどのように対処するか、その答えがエペソの手紙4章17節‐5章21節に解き明かされています。この世は罪で満たされています。クリスチャンは、罪に対して免疫を持っている訳ではありません。エペソの手紙を読み祈りましょう。エペソ4章、5章
1章―3章では救いの神学が説明されています。それに対して、4章からは実際の生活において、クリスチャンがどのような生活を送るべきかが解き明かされています。
特に4章17節―5章21節では、異邦人の生活とクリスチャンの生活が対比されており、クリスチャンは古い自分を捨てて、主イエス・キリストによって新しくされている真理が語られています。この箇所は少々長いですが、文脈に沿って読むことにより、パウロの真意をより明確に理解できると思います。
人間の愚かな考えと知性
4章17節―5章21節ではいくつかの比喩が使われていますが、一貫してあるテーマが「暗闇と光の対照」です。罪にある者は、暗闇の中にいてその知性が無感覚になってしまいます。霊的な目が閉ざされ、何が真実で何が偽りなのかも分らなくなってしまうのです。この真理はいつの時代も変わりません。
偶像礼拝の神々を礼拝して酩酊にふけっていれば、なおさら霊的な盲目になってしまでしょう。パウロは、エペソのクリスチャンにこのような生き方はもう捨てなさいと勧めています。クリスチャンになって間もない人たちは、過去の悪い習慣、考え方を引きずっていたかもしれません。クリスチャンであれば、バプテスマの日からすべて180度転換して当然と考えられますが、そのようにはなりません。罪人なる人間ゆえに、簡単にはいかないのです。この聖句は次の真理を明らかにしています。
- 罪との戦いは、クリスチャンである限り続くということ
- 悔い改めは、日々意識的に、継続的に行われるべきであること
パウロは、クリスチャンに対して、まるで未信者のように諭しています。これは非常に興味深いところです。6章の後半部分と合わせて読んでみると、パウロの戒めはより鮮明になります。悪魔は、クリスチャンの信仰を弱めるためにあらゆる手段を用います。最終的に、世界中が創造主なる神を呪うように策略を練ります。そんな悪魔に対して、クリスチャンは無防備になりがちです。だからこそ、クリスチャンは常に悔い改めの心を忘れてはならないのです。霊的な目をきちんと開いて、主イエス・キリストから目を離さないで、一歩一歩を確実に歩む必要があります。
古い生き方と新しい生き方
古い生き方 | 新しい生き方 |
知性が暗くなった | 霊によって新しくなった |
道徳的に無感覚 | 真理に基づく義なる生活 |
好色と情欲 | 真理に基づく聖なる生活 |
嘘偽り | 真実を語る |
怒り | 怒りを止める |
盗み | 人に施しをする |
悪い言葉 | 人のためになる言葉 |
無慈悲、憤り | 親切 |
叫び、そしり | お互いに赦しあう |
愚かな話 | 主に喜ばれる |
偶像礼拝 | 神を礼拝する |
暗闇のわざ | 光のわざ |
愚かな人 | 主の御心を知る |
酒に酔う | 主に向かって賛美する |
罪は腐った食べ物にたとえられます。食べれば病気になってしまうでしょう。食べれば腹痛をおこし、嘔吐したり下痢もしてしまいます。それと同じで、クリスチャンも罪の中に生きていれば病気になります。腐った食べ物を吐き出すように、罪をすべて吐き出さなければなりません。
パウロは、罪である闇の行いが私たちを霊的に盲目にしてしまい、神の御国から追いやってしまうとハッキリと言っています。上記の表で、クリスチャンになる前、なった後を対比してみました。なぜこのような警告が与えられているのでしょうか。それは、クリスチャンも罪人であり、また元のライフスタイルに戻ってしまう可能性があるからです。罪の現実は、クリスチャンになっても変わりはありません。クリスチャンも、罪人ゆえに時には罪に躓いてしまうこともあります。だからこそ、常に自分を吟味して、神様の御前で主イエス様の名によって祈り、罪を告白しましょう。
悪い時代
社会は常に変化しているように思えます。最近の世の中は、コロナ禍も相まって、ますます暗くなってきています。文字通り、この世の中は暗闇の中に入ってしまったようです。しかし、「歴史は繰り返される」と言われます。コロナのような感染病が流行するのは、人類の歴史で繰り返されてきました。実は、今の時代もパウロがエペソの手紙を書いた時代とさほど変わりはないのです。エペソ5章16節が書いているように、いつの世も悪い時代なのです。
愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。…むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。(エペソ5章15節-19節)
悪魔は、神様が私たちに与えてくださっている貴重な命と時間を盗もうとしています。人生を無駄使いする一番の早道は、悪魔の声に従うことです。残念ながら、この世の中には神様の支配に身を置いている人よりも、悪魔の支配に身を置いている人の方が圧倒的に多いのです。悪魔が作る流れに流されるままに生きていけば、破滅の道が待っています。このような世の中で生きているクリスチャンは、主の御心が何かをよくよく見極めなければなりません。
この悪い時代に、クリスチャンとして生きていくには、湧き水のように延々と流れ出る聖霊の力によって満たされる必要があります。主イエス・キリストに目を向けて、神様を褒め称え、賛美の歌声をあげるのが一番の薬です。賛美は一人でも出来ます。一人賛美で心が洗われたような気がするのは私だけでしょうか。礼拝の賛美よりも、新鮮に聞こえてしまうときがあります。かといって礼拝の賛美が悪いと言うわけではありません。一人賛美は、心を神様に向けやすいのかもしれません。読者の皆様にも、一人賛美をぜひお勧めします。