エペソ人への手紙1章15-19節に書かれているパウロの祈りを解説します。すべてのクリスチャンに当てはまる祈りです。重要な祈りの要素が含まれています。日常の力強い祈り方を学びましょう。
1章3節-14節から続いている文脈で読む
こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。エペソ1章15-19節 聖書協会
この祈り(15節―19節)は、1章3節―14節から続いている文脈の中で読むべきです。3節―14節では神の永遠なる救いの計画と恵みが説明されています。この後で、パウロは神の救いを受けたエペソのクリスチャンのために祈っているのです。
救いの御業に預かったクリスチャンは、その恵みを理解するために、知恵と啓示の御霊を受けて成長するようにパウロは祈っています。具体的な霊的な成長の証として、心の目(霊的な観察眼)が与えられます。霊的な観察眼をいただいた結果、次の3つの恵みを理解して霊的に成人になるのです。(1)クリスチャンが受ける神の招きにある希望、(2)クリスチャンが受け継ぐ栄光の輝き、(3)クリスチャンが受ける神の絶大な力。
この祈りは、すべてのクリスチャンにとって当てはまります。主イエス・キリストの救いの恵みを知らずして、クリスチャン人生を歩むのはこの上なく難しいことです。主イエス・キリストにつくバプテスマによって救いの恵みを受けた人は、自動的にこれらの恵みを頂けると思ってはなりません。神の御心を祈り求めるのです。では、それぞれの恵みの具体的な意味について考えてみましょう。
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クリスチャンが受ける神の招きにある希望
チーム・スポーツでは、自分のポジションを知り自分の役目をしっかり理解することが大切です。それぞれの場面で監督の指示に従い適切なプレーをすることが求められます。監督の下でチームとして戦っているから、勝利という希望を選手全員がもつのでしょう。クリスチャンの生活にも同様のことが言えます。
私たちの監督は、主なるイエス・キリストです。主イエスは私たちに期待しています。私たちに世の光、地の塩というポジションを与えてくださいました。クリスチャンは、自分のポジションと役目を知って初めて、主が与える希望を知ることが出来るのではないでしょうか。
主イエスが教える希望とは、この世で自分の願いが成就されるような単なる望みではありません。「あの大学、あの会社に入りたい」といった希望でもないし、ましてや「宝くじが当たりますように」といったご利益宗教的な希望でもありません。クリスチャンにとって希望は一つです(エペソ4・4)。クリスチャンは、主イエス・キリストの再臨を待ち望んでいます。神の御国が来て御心が行なわれるという希望を持っています。新しい天地が創造される日を望んでいるのです(ローマ8・23、1ヨハネ3・2―3、ピリピ3・21)。
クリスチャンが受け継ぐ栄光の輝き
アメリカの元オバマ大統領は在任中、2030年までに火星に人類を送ると発表しました。火星までどのくらい遠いかを月と比べてみましょう。また太陽はどれほど遠いのでしょうか。
スペース・シャトルで月まで行くのに5日かかり、火星までは半年かかり、太陽までに行くには7年かかると言われています。計算上、旅客機では太陽まで19年かかります。音の速さで13年、光の速さで8分かかるのです。想像もできない所に太陽はありますが、創造主なる神は、太陽を通して自然の恵みを私たちに日々与えています。光輝く太陽は、物理的に月星に栄光を与えているのです。
クリスチャンが神から受ける栄光は、その大きさ、広さにおいて太陽が与える栄光と似ています。神の栄光は、とてつもなく大きく広い!私たち人間の想像を絶する大きさです。人知を越えた大きさです。太陽の光は、長い距離(何億光年)を渡って地球上に降りてきます。同じように、神の栄光は遠く離れたところにありますが、私たちクリスチャンのもとにきちんと届いているのです。これは驚きに値しないでしょうか。
しかしながら、神の恵みを空気のようにあって当たり前と感じている時はないでしょうか。このように感じているとき、私たちは神の恵みに感謝していません。パウロは、このような罪深い私たちのために、神の栄光の輝きを理解するようにと祈っているのです。
クリスチャンが受ける神の絶大な力
神は、イエス・キリストを死から復活させました。キリストを死から復活させた神の力が、21世紀のクリスチャンにも働いています。これは本当に「すごい!」ことです。とはいっても、この力を実体験するクリスチャンは、クリスチャンの全体数からいえば少ないのかもしれません。クリスチャンになれば、この力が自動販売機のように自動的に出てくるものではないのです。むしろ、信仰によって十字架を負って神の御心を祈り求めるクリスチャンに、神は大いなる力を与えてくださるのではないでしょうか。だからこそ、パウロはこの大いなる力を知るようにと祈っているのです。
主イエス・キリストを知るクリスチャンの中に働く神の力は、主イエス・キリストのからだである教会とは切り離せません。パウロは、神の力とキリストのからだを関連付けています。主イエス様のからだである教会は、神の臨在、力が満ち満ちている所です。教会という看板を出したからといって、すぐに神が臨在して力が働いてくださるというものではありません。
クリスチャンの集まりが本当の意味で「キリストのからだ」という共同体になっていく過程で、神の力は働いてクリスチャンを成長させていくのではないでしょうか。クリスチャンは、この共同体に属していることに喜びと幸いを感じます。
まとめ
今まで述べてきたパウロの祈りの三項目は、教会であるキリストのからだという共同体の中で答えられます。クリスチャンが教会から離れても、クリスチャンを辞めるわけではありません。しかし主イエス・キリストが建てた教会から離れて、クリスチャンとして成長するのははなはだ難しいと思います。キリストのからだなる教会は、クリスチャンが成長するための神の計画の一部だからです。この成長のプロセスをパウロは、エペソの手紙を通して最初から最後まで説き明かしています。次の記事ではクリスチャンの成長のプロセスについて触れてみます。
- エペソ人への手紙の解説
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