コンテンツへスキップ 投稿日:2022年1月2日/更新日:2023年5月4日

キリストは歴史上の人物ーキリストって本当にいた?

イエス・キリストは、歴史上の人物であり空想の産物ではありません。1世紀のローマ帝国のユダヤ(現在のイスラエル)で生まれました。イエス・キリストは、創造主なる神から遣わされ、神の福音のメッセージを成就するために来たと主張しました。古代から神と直接つながっていると主張した人間は、歴史上多くいます。客観的にいってイエス・キリストもその一人と言えます。

イエス・キリスト、3つの可能性

  1. イエス・キリストは、最初から大嘘をついていた。
  2. イエス・キリストは、気が狂っていた。
  3. イエス・キリストは、真実を語っていた。

さては、真実は何でしょうか。もし1-2であれば、聖書など読むに値しないでしょう。たとえ良い教えであっても、嘘八百であれば、最初から読む価値などないのではないでしょうか。でも、もし3が本当であれば、すべての人間に関わる大きな問題です。このサイトでは、丁寧に一つ一つの疑問に答えていきます。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が、歴史上、実際に存在し生きた人物であることは疑う余地がありません。なぜなら、歴史文書に残されているからです。明治時代を境に日本が変わったという事実も、疑う余地もありません。数十年前までは、それを見た人たちが生きていたのです。

キリストは歴史上の人物であることの証拠

2000年も前の話ですが、イエス・キリストという人物は、ローマ帝国時代に生きた事は証明されます。彼についての証言は、聖書以外のいくつかの書物に記録として残っています。たとえば、イエスが死んでから80年くらいたった後に、AD 117年頃、ローマ人の著名な歴史家コーネリアス・タシタスは、次の様に書いています。

「キリスト(Christus)は、チベリアスが皇帝の時、総督の一人ピラトの手によって多くの苦しみを受けた」(Tacitus,Annals XV.44、ラテン語の原文の英訳を野々垣が和訳したもの)。

また新約聖書の1ヨハネ1章には、次のような証言があります。

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(1ヨハネ1章1節ー4節)

上記の聖句を書いた ヨハネは、イエスと共に寝食を共にして、また笑ったり泣きもしたでしょう。ヨハネは、彼自身の手でイエスの手を握りしめ、その目でイエスを見て、その耳でイエスの教えを実際に聞いたのです。これらのことばからもわかるように、イエスは一人の人として生きた歴史的人物なのです。

イエスは、現在も神の愛のメッセージを、わたしたちに語りかけています。素直に耳を傾けてみましょう。イエスは、あなたの人生を変えてくれます。

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