コンテンツへスキップ 投稿日:2023年3月21日/更新日:2023年5月5日

偽善を悔い改め、本物になるために

偽善を悔い改め本物になるために

主イエス・キリストは、私たちに「偽善者のようであってはならない」と教えています。偽善とは一体何でしょうか。偽善を悔い改め、本物になるために何をなすべきでしょうか。

偽善とは何か

自分が偽善者だなんて、ほとんどの人は思っていないでしょう。しかし、そんな私たちに「誰も偽善者のようであってはならない」と戒められています。聖人君子を自負していたユダヤ教律法学者たちは、侮辱された感じ、主イエス様を殺すことさえ考え始めました。

偽は「人偏に為」と書きます。つまり、偽善は、漢字が表すように「人の為の善」ですが、実態はまったく違うのです。善の名によって、人に恩を売っているような行為です。または人に褒められたくて、わざと見られるように善を行っている見せかけの行いです。だから人が見てなければ、善など考えないのです。

1世紀の時代も、偽善の本質は今とさほど変わりはなかったと思いますが、現代社会ではインスタを始めフェイスブック、ツィーターによって数秒でしかも世界中の人々に、自分の善を見せることが可能です。「善行をしておいて、人に見せなきゃ損!」そんな声が聞こえてきそうです。

主イエス様の戒め「偽善者のようであってはならない」

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

マタイ6章1‐4節 聖書協会

人間には、誰にでも偽善的なところがあるのではないでしょうか。「まったくない!」と言ったら、それがまさに偽善になってしまいます。同じ善をやるのであれば、隠れてやるよりは、公でやった方が得策に思えます。

アメリカの大手の会社は、慈善団体に多額の寄付をしますが、それも宣伝広告のためです。アメリカ人は、一般的に企業は社会に貢献すべきだと考えていますから、自然保護や森林保全など非営利団体に寄付するのは、企業イメージにもプラスになります。それをもし秘密にやっていたら…どうなるのでしょうか。立派だと誉める人もいるかもしれませんが、ほとんどの人が愚かな経営戦略と断言するでしょう。おそらく、個人レベルでも、同じことが言えます。

偽善を悔い改め、本物になるために

しかし、善行は神様だけが知っていれば良しなのです。何らかの理由で、人々がその善行を知る場合がありますが、それもOKです。鍵は、周りの目を気にしないで、善い行いをすることです。なぜなら、神様はいつも私たちを見ているからです。

何事もそうですが、本物になるためには練習、鍛錬が必要です。普段から、主イエス様の鍛錬を受けている人は幸いです。鍛錬は、その時は苦しいですが、後になって良い実を生みだします。直接、主イエス様に学ぶ人は、神様の祝福を十二分に受けるでしょう。このプロセスを通して、主イエス様の本当の弟子になれるのではないでしょうか。

裁きの日に、天にいらっしゃる主イエス様が、次のように言ってくれるように精進しましょう。

忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。

マタイ25章23節 聖書協会

小さなことから大きいことまで、主イエス様に忠実に生きていけますように。今日も神様の祝福を全身全霊に受けて、実り豊かな日を過ごせますように。いっしょに霊的に成長して生きましょう。

心の貧しい者は幸い義に飢え渇く者は幸い

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