コンテンツへスキップ 投稿日:2021年11月18日/更新日:2025年2月4日

日本と戦争。戦争反対でも戦争から恩恵

ゼロ戦、日本と戦争

日本と戦争について考えてみます。日本人の戦争に関する倫理観について考えてみましょう。旧約聖書に記録されている戦争と合わせて、クリスチャンの説明責任を問いかけます。

8月15日は終戦記念日です。クリスチャンを含めた多くの方々が、人間の知恵や力で戦争をなくせると考えています。多くの場所で平和が叫ばれます。しかし、罪人であるわたしたち人間が、この地上に住んでいる以上、争いごとはなくならないし、戦争がなくなることはありません。

1.戦争反対だけど、戦争から恩恵を受けてもOKの倫理観

日本人の戦争に関する倫理観

戦後世代が過半数を占める日本社会では、戦争についてどう考えられているのでしょうか。戦後、軍事面ではアメリカにおんぶに抱っこ状態を続けてきた日本人は、戦争についてどう向き合おうとしているのでしょうか。

もう60年も前の話ですが、日本は朝鮮戦争の時には軍事景気、特需で恩恵を受けましたが、それでも多くの日本人は戦争には反対を叫び続けてきました。日本人には、今でもこの二重構造的倫理観 があります。 ( 二重構造的倫理観はわたしの造語です。国語的に正しいか分かりません。日本人の倫理観に、本音と建前があるという意味だけではありません。一方でAを賛成しながら、同時に倫理的に全く反対のBも賛成できるという不思議な倫理観です。)

関連記事 日本の戦争の歴史を見てみましょう。戦後70年へ-日本の戦争と戦後の歩み-年表

2.戦争には関わりたくない傍観者でいたい倫理観

戦争は確かに悲惨であり無残なものです。10年前くらいに政府は、集団的自衛権を閣議決定しました。それを声高に反対している人たちがいました。共産党、社民党、その他の政党が、政治的戦略入り乱れて反対していました。もちろん反対者の中には、多くのクリスチャンもいました。

しかし、日本人は結局の所、戦争には関わりたくないのが本音でしょう。傍観者でいたいのでしょう。アメリカには日米安保条約で守ってもらい、でも実際に戦争には関わりたくないのが、日本人の本音です。「戦争をするのはアメリカ人でいい!日本人は巻き込まれてはならない!」という二重構造的な議論が、まかり通るのが日本という社会です。

3.戦争に間接的に関わるならOKの倫理観

直接、戦争に関与はしないけど、間接的に戦争に関与しているのです。殺人と言う犯罪に例えてみましょう。「あなたは、自衛のために殺し屋を雇っています。しかし、この殺し屋は他の人からも依頼を受ける時があります。そんな時にもあなたは、この殺し屋の旅先での衣食住の旅費を工面しなければなりません、これが契約ですから。」殺人罪には問われないかもしれませんが、それなりの罪に問われるでしょう。

「我々を守るために金を出す。実際の戦争はアメリカにやらせろ。我々は戦争に関わりたくない。戦争の援助もしたくない。ただ我々だけを守っていればいいのだ」だけで戦争反対するのであれば、あまりに自己中心的とはいえないでしょうか。戦争の敵も味方も人間は、みんな神によって創造され愛されています。

結論 日本人クリスチャンとして、戦争について答えるべき説明責任

戦争に関して日本人の特殊な倫理観、ダブルスタンダード的な道徳観を検証しました。少し突っ込んだ提言をしました。世の中がどんなに変わろうとも、人間が行う戦争は悪です。悪魔によってだまされた人間のわざです。私たちの神である主イエス様が、日本人に悔い改めの心を与えてくださるようにお祈りしています。

読者の皆様の上に、主キリストの尊い愛が注がれますように、心よりお祈り申し上げます。

  1. クリスチャンの説明責任
  2. 聖書は、戦争を肯定しているのか
  3. 命と命の使い方、どっちが大切でしょうか

外部リンク 聖書は戦争について何と言っていますか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です