真理を求めている人は、遅かれ早かれ主キリストを知るようになります。いろいろな困難、試練のプロセスを経て、多くの方々が主イエス・キリストを信じんています。
イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。」ヨハネ7章16-18節 聖書協会
試練は主イエス・キリストの目覚まし時計
試練は人間が生きていれば、必ずやってきます。いくら逃げても追いついてきて、私たちを苦しめる時があります。実は、それが神様が定めた人生の摂理です。試練は、主イエス・キリストの目覚ましい時計です。「起きなさい。目を覚ましなさい」と言っているのです。
試練に対して、人は2種類の対応で立ち向かいます。一つの方法は、言うまでもなく自分の力で何とか乗り越えようとします。もう一つの方法は、自分以外の力の大きさに気づき、その力を借りて乗り越えるのです。
どちらの方法でも、乗り越えることはできるかもしれません。しかし、そのプロセスはまったく違います。
参照記事 試練を通して人は成長する
試練を通して、神の真理を求める大切さを知る
2番目の方法で試練を乗り越える人は、自分の力だけで生きているのではないことに気づかされます。親、兄弟姉妹、友人、多くの人たちの助けがあって生きていることはもちろん、もっと大きな力があることに気づくのです。
私が25歳の時、大きな交通事故を起こして、高速道路の脇で頭から血を流して座っていました。その時、見ず知らずの人がわざわざ車を止めて、私にタオルを渡してくれたのです。病院に3カ月入院していましたが、あの時初めて、自分の力だけで粋がっていた愚かな自分を知ったのです。何か目に見えない力があるのを知ったのです。その時から、私は人生には何かもっと大きな原則、人間の力では計り知れない原則と真理があるのではないかと思うようになりました。これが私にとっての「主イエス・キリストの目覚まし時計」でした。
参照記事
- ヨハネ4章7-15節 イエスが与える水
- ヨハネ4章16-26節 神を礼拝する
- ヨハネ5章19-30節 父なる神とイエス
- ヨハネ6章26-35節 主イエスは命の源
- ヨハネ7章28-29節。主イエスの秘密
主イエス・キリストを知る確信と喜び
人はそれぞれ違った道を歩みます。試練の対応の仕方も違います。どん底のまま海底にいるままの人もいます。自分の力で這い上がる人もいます。私は人生のどん底にいた時、藁をつかむ思いで主イエス・キリストが投げてくれたロープにつかまりました。自分の力で這い上がるのではなくて、ただ主イエス・キリストのロープにつかまるだけす。後は、主イエス・キリストが私を引き上げてくださったのです。
主イエス・キリストを知ることは、人生において一番の喜びです。言葉で言い表すことができません。目に見えない力、自分よりも大きな力が、自分の人生の中で働いています。自分は自分の力で生きているのではなく、生かされているという確信が生まれました。主イエス様が与えてくださる目的をもって、生かされている確信です。迷路の中をぐるぐる回っていた自分を考えると、夢のような話です。もう40年も前の話です。しかしこの喜びは、またフレッシュなままです。息づいています。
天にいらっしゃる主イエス・キリストは、聖霊を通して、今も私たちに呼びかけています。真理を語っています。読者の皆様の上に、主イエス様の尊い祝福が宿りますように。
ヨハネの福音書からのメッセージ
キリストによって光が差し込む、チームワークの大切を学ぶ、人生を変える出会い、新たに生まれる、砂漠のような社会に生きる私たちに、どこでも神様を礼拝できる、主イエス・キリストは命の源