コンテンツへスキップ 投稿日:2023年4月15日/更新日:2023年5月8日

ヨハネ8章21-29節。永遠なる方

永遠なる主イエス・キリストとYHWH

天からいらしたイエス・キリストは、私たちと同じように人となられましたが、同時に永遠なる方です。この真理を主ご自身の言葉から検証してみます。

そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。…わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。…あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。…『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」…そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」

ヨハネ8章21-29節 聖書協会

旧い契約、神の契約の名前

旧約聖書で神様は様々な名前で呼ばれています。その中で契約の名前として、神様自らがイスラエルに啓示した名前があります。4つのヘブル語子音からなるYHWHです。アブラハムには全能の神として現れましたが、イスラエルには契約の名前YHWHとして、神様は現れたのです。この意味は難解ですが、出エジプト記3章14節に説明されています。神様は ご自分を「わたしはある。I am who I am 」と啓示されました。

人、動物、物質は何であろうと、何かに依存して存在しています。ところが、神様は何にも依存せずに存在している方です。永遠なる方であることを、この契約の名前によって神様はお示しになったと思われます。

主はご自分を「わたしはある」と表現した意味

主イエス・キリストは、やはりご自分を「わたしはある」と表現しています。「わたしを信じなければ」と言わずに、「『わたしがある』ということを信じなければ」と言っているのです。旧い契約の名前が永遠性をしているように、主イエス・キリストはご自分を永遠なる父なる神様と同等であることを示されたのです。

ユダヤ教教師たちは、イエス様をただの人間としてか見ていませんでしたから、この言葉の意味も考えもせず、自分たちの権威を脅かす敵として考えていたのです。「いったい、あなたは、どなたですか」と聞いてはいましたが、主を信じませんでした。

21世紀に生きる私たちにも、主イエス・キリストの同じ言葉が語られています。素直に主イエス・キリストを信じてみましょう。救いの道が準備されているからです。

参照記事 ヨハネ1章1‐4節 キリストによって光が差し込む

主イエス様を通して父なる神様を礼拝する

主イエス・キリストは、父なる神様が命じたままを行いました。父なる神様からすべての権能が委ねれらているのです。すべての権限が任されていても、父なる神様から離れては何もできません。主イエス・キリストは、信仰によってミッションをまっとうしたのです。

主イエス様は、すべての点で私たちと同じように人と成られました(へブル2章17節)。私たちと同じように、いやそれ以上に試練に遭われたので、私たちを助ける事がお出来になります(へブル4章15節)。その試練を通して、永遠の方でありましたが、従順を学ばれました(へブル5章8節)。この方を通して、私たちは父なる神様の恵みの座に近づくことができるのです。

ヨハネの福音書からのメッセージ

キリストによって光が差し込むチームワークの大切を学ぶ人生を変える出会い新たに生まれる砂漠のような社会に生きる私たちにどこでも神様を礼拝できる主イエス・キリストは命の源真理を求めている人はイエス・キリストを知る

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