コンテンツへスキップ 投稿日:2023年4月21日/更新日:2025年1月14日

ヨハネ9章。盲目が癒された人の信仰

盲導犬に導かれる盲人

多くのクリスチャンは、信仰を信じるか信じないかの二者択一で考えています。しかし、これはクリスチャンが持つ信仰の真実を語っていません。信仰は、主イエス様の祝福を通して徐々に成長していきます。ヨハネ9章を解説して、クリスチャン信仰の真実を探ります。

主イエス様を知らない盲人の最初の信仰

ヨハネ9章は、ある盲人の人が主イエス・キリストによって癒され、目が見えるようになった話です。この人が物乞いをしていた盲人だと知っていた人たちは、彼にどのように目が見えるようになったかを尋ねます。

しかし、この人はイエス・キリストが誰なのか、どんな人なのか、どこにいるかも知りません。自分が生まれつき盲人であったけれど、このある人に癒されて見えるようになったことだけを認識していたのです。これが彼の最初の信仰の始まりです。

「あの方は預言者です」と信仰告白

癒された人は、パリサイ人たちに連れていかれました。そして彼は同じように尋問を受けるのです。パリサイ人たちは、癒し主がイエスであると想像していましたが、実際にはハッキリとしらなかったのです。そこで彼らは、癒された本人に「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどのように思うのか」と聞くしかありませんでした。

彼は、ユダヤ教の権威者たちであるパリサイ人たちに「あの方は預言者です」と信仰告白をしたのです。これは勇気ある発言です。盲人であり罪人の最たる者として見下げられていた人が、パリサイ人たちに信仰告白したのですから。

そこでパリサイ人たちは、なぜ目が見えるようになったのかを彼の両親に問い詰めます。生まれつき盲人であったのは、嘘ではないかと疑い始めたのです。頑な心は奇跡を見ても、真理を拒み続けました。

「あたながたもあの方の弟子になりたいのか」

パリサイ人たちは再度、彼を呼び出して厳しく詰問します。彼らは完全に悪魔にだまされ、イエスが罪人であると信じ込んでいました。ところが、彼はパリサイ人たちの宗教的な権威に挑戦し始めます。

自分が盲人であったけれど、イエスが癒してくれたことの事実を告白します。パリサイ人たちがイエスに興味を持っているのを知り、皮肉として「あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか」とチャレンジするのです。「あの方は預言者です」と信仰告白しましたが、それ以上に信仰で、パリサイ人たちの不信仰を逆にチャレンジしたのです。

さらにこの会話の中で、彼は自分の信仰告白することにより、パリサイ人たちに説教をし始めたのです。これにはパリサイ人たちは怒り心頭しました。

主イエス様を見て信じる

この人は、再度イエス・キリストに出会います。盲目の時は声は聞いていましたが、姿は見ることはできませでした。彼は、今、面と向かってイエス・キリストを見たのです。キリストを信じたいという信仰から、キリストを見て、「主よ、わたしは信じます」に変えられたのです。

信仰はこのように徐々に成長していきます。この話は、2000年も前の話ですが、私たちの信仰も同じように成長していきます。主イエス・キリストは最後に言いました。

わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。

ヨハネ9章39節 聖書協会

主イエス・キリストによって心の目が開かれますように。

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