ユダは、主イエス様を裏切りましたが、ユダはどのように悪魔にだまされたのでしょうか。またユダは、神様によって選ばれた裏切り者なのでしょうか。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのユダの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。…イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。…「わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。
ヨハネ13章2、10-11、18節 聖書協会
主イエス様を裏切ると考えたユダの動機
ユダは、数奇な人生を送りました。悪魔によってだまされ、人生の師を裏切ったのです。悲しい不幸極まりない生き方でした。聖書の言葉が実現するために、主イエス様を裏切り十字架につけさせたのです。
しかし、ユダは主イエス様が十字架で死ぬなど、夢にも思っていませでした。彼の動機は、彼なりに純粋だったかもしれません。彼はユダヤ人として、他の弟子たちと同じように、イエス様がローマ帝国からイスラエルの国を解放させ、イスラエルを復興させるのではないかと、期待していました。ユダは、イエス様がローマ帝国に対峙するような機会を作ろうとしていたのではないでしょうか。この説は一部の学者の間で主張されています。この学説の真偽は定かではありませんが、悪魔の働きと考え合わせると合点が行きます。
悪魔は、私たちの純粋な動機をも使って、私たちをだまそうとします。良い物を使ってでも、私たちを悪の道に導こうとします。良さそうに見える、聞こえるものを使って、悪魔の道に導くのです。実際、クリスチャンの間でも、純粋な動機から出る行動が思わぬ悪に進んでいくことがあります。予想もしない展開に発展して、教会内に分裂を起こさせるような事件になっていくことはないでしょうか。
ユダはおそらく軽い気持ちで、イエス様を裏切ることに同意したのです。そこが悪魔の狙いだったのではないでしょうか。
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私たちも、このような軽い気持ちで、主イエス様の御心に背くようなことはないでしょうか。大ありです。悪いとは心で気づいていながらも、敢えて「少しくらいなら大丈夫」と思ってやってしまったことはないでしょうか。私たちが気づいていないだけで、きっと日常茶飯事です。
ユダの悔い改めの方法
ユダが主イエス様を裏切った後の状況を読んでみましょう。
そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
マタイ27章3-5節
ユダは、主イエス様が有罪判決を受けたと聞いて、どうしようもないショックを受けたのでしょう。自分がとんでもないことをしてしまったと後悔したのです。しかし、後悔先に立たずです。時間を巻き戻すわけにも行きません。もらった銀貨を返そうとしましたが、二進も三進もゆかずに自殺したのです。絶望感に襲われは、自ら命を絶ちました。これはユダが選んだ悔い改めの方法です。
ユダの人生を考えると、どうにもならない空しさを感じます。神様が、ユダにこのような人生を歩むように定めたのでしょうか。私はそのように思いません。恵み深い憐れみに満ちた神様が、不幸の人生を歩むようにユダを導いたとは、天地がひっくり返っても私には思えません。
しかし、実際の所は私にはわかりません。「人の振り見て我が振り直せ」と言われますが、悪魔にだまされないために、ユダから学ぶべき事がたくさんあります。どうか読者の皆様の上に、神様の大いなる恵みが宿りますように。アーメン
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