コンテンツへスキップ 投稿日:2021年11月23日/更新日:2025年1月16日

健全な教会とクリスチャンの霊的成長

手を出し合い互いに支える人々

クリスチャンの霊的成長は主イエス様によって行われます。教会で成長するクリスチャンには、健全な人間関係があります。クリスチャンがもつべき人間関係とは、どんなものでしょうか。

  • 切磋琢磨の関係
  • 主イエス様が愛したように互いに愛し合う関係
  • お互いに重荷を負い合う関係。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言われますが、誤解されて体の健康が強調されています。この言葉を、キリストの体である教会に置き換えると、「健全な人間関係は健全なキリストの体である教会に宿る」になります。そこで教会での健全な人間関係がどんなものか、クリスチャンが教会内でどのように成長するのかを考えてみましょう。

1.切磋琢磨の人間関係で、クリスチャンは成長する

箴言27章17節には「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される」と書かれています。クリスチャンは、この切磋琢磨の関係でお互いに磨かれ成長していきます。切磋琢磨とはどのような関係でしょうか。切磋琢磨の関係にあるクリスチャン2人は、お互いから学び合うことができます。また、お互いに助け合うことも出来るのです。お互いに霊的に刺激しあい、お互いに霊性を磨いていくのです。

教会内で一人静かに座っている人を見たことありますか。誰とも話さずに礼拝が終わると、すぐに帰ってしまいます。残念ながら、教会はこのような希薄な人間関係で成り立ってはいません。

もちろん、一人のクリスチャンが他のクリスチャンに近寄り過ぎて、パワハラをしているような教会は不健全です。切磋琢磨といっても、このような関係は、粗いヤスリでゴリゴリと人の心を削っているようなものです。成長どころか、その人の魂も心も壊れてしまいます。

教会はオープンな場所です。お互いが自分の殻をやぶって、自分の弱さを見せても良い場です。お互いのために祈り合える場です。お互いからパワーをもらえる関係が、教会にはあります。そんな関係でクリスチャンは成長していくのです。

2.主イエスが愛したように、お互いに愛し合う人間関係で、クリスチャンは成長する

聖書には、「お互いに愛し合いなさい。お互いに赦し合いなさい。」という表現が数多く書かれています。主イエスは、12人という少数の人たちを集め、彼らを訓練をしました。彼らは、約3年間、寝食を共にして、主イエスに従ったのです。お互いの欠点をまじかに見ることができる人間関係の中で、彼らは、時には競争心を燃やし、他の弟子たちの傲慢な態度に怒ることもありました。

主イエスが愛したように愛する――これがクリスチャンが成長する原則の一つです。お互いに切磋琢磨するクリスチャンの人間関係の重要さは、いくら強調しても強調しすぎることはありません。愛の基準は、主イエスにあります。人間にはありません。各々のクリスチャンが、唯一無二の主であるイエスに目を向けて成長していき、同時に、お互いに祈り合い、お互いに励まし合い、クリスチャンは成長していくのです。

3.お互いに重荷を負い合う人間関係で、クリスチャンは成長する

兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。めいめいが、自分の重荷を担うべきです。御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。(ガラテヤ6章1節-8節)

健全なクリスチャンは、自分が蒔いた種は自分で刈り取ることになる真理を知っています。ですから、自分の重荷は自分で負うべきだと認識しているのです。自分の境界線も自覚して、自分がやるべき事を知っている人です。このようなクリスチャンは、主イエス・キリストがいう「聞く耳のある者は聞きなさい」が教える自由意志の原則をしり、自分の言動に責任を持っているのです。

しかし、一人では負いきれない重荷が、私たちの人生にはあります。このような場合のために「互いに重荷を担いなさい」という戒めが与えられています。お互いに重荷を負い合い、助け合う関係を、主イエス様が私たちに求めているのです。なぜでしょうか。主イエス様が愛したように、お互いに愛し合う関係の実践だからです。

お互いに愛す関係は、主イエス様に基準があります。お互いの境界線を知っている健全な教会の人間関係では、、モラハラやパワハラなどあり得ません。聖霊で満たされたクリスチャンが集まる所には、主いえす様が中心にいらっしゃるのです。

結論 お互いに成長していく健全な関係をつくりましょう

「朱に交われば赤くなる」という諺があります。朱を主に変えて考えてみましょう。主イエス様にある良い交わりがあれば、霊的な良い影響を受けます。だから、クリスチャンの健全な人間関係は大切なのです。

教会は、主イエス・キリストを崇める罪人たちの共同体です。罪人がいますから、間違いや誤解もありますが、それらの罪を乗り越えてこそ、本物の教会、本物の兄弟姉妹になっていくのではないでしょうか。主イエス様が与えてくれる聖霊の力によって、成長して生きましょう。

Please follow and like us:
icon Follow en US

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です