野々垣正信伝道者の略歴

野々垣正信伝道者の略歴

野々垣正信伝道者の略歴

読者の皆様、こんにちは。聖書解説サイトの編集者の野々垣正信です。生まれは東京都江戸川区一之江です。1956年生まれの56歳です。江東区にある江東商業高校を卒業後、東京経済大学の短大を卒業後、レストランで3年間働いていました。大学生活でまたレストランで働いていた期間、様々な悪に手を染めました。本当に自分勝手な利己的な人間でした。


レストランのコック業を退職

その頃、ちょうどファースト・フードが出始めて飲食業界も大変な時期でしたね。現場で働いているわたしのようなコックには分岐点を与えてくれた時期でもあったのです。多くの美味しい冷凍物の食品が出始めて、プロの料理人は二分化すると思われていたのです。料亭、ホテルのような所で超一流になるか、それ以下になるかです。際立った料理の才能もないとわたしはコックの道を半ばあきらめました。

それから後の3年間は荒れた生活が続きました。ほとんどアル中でした。アル中にならなかったのが不思議なくらい。年齢も24歳になっていたので「この辺で何か方向性を決めない」と思い(中学の時、英語が好きだったので)アメリカ留学を決めました。でもお金がなかったのでバイトを3つもやりながら地を這いながらでも働いたのです。そんな時に不幸が次から次へと起こりました。

一難去ってまた一難

野々垣正信伝道者の略歴

まずは交通事故、顔の骨2本折って、頭を50針もぬう大怪我でした。車が横転して運転席側に横倒しになりわたしの頭はコンクリートとこすり合って頭は傷だらけです。幸い助手席にいた友人にはかすり傷一つなかったのです。(友人がかすり傷一つ負わず助かったのは、わたしには今でも奇跡にしか思えません。)1ヶ月間入院で、治療に数ヶ月。その一ヵ月後、育ての母が横断歩道で左折の大型トラックに巻き込まれて交通事故で即死。またその一ヵ月後、仕事中に左手骨折。その三ヵ月後に盲腸の手術。また一ヵ月後に鼻の手術。人生のどん底を少しは味わいました。これ以上悪くはならないと開き直って、一人残る父親を残し後ろ髪をひかれる思いで1984年に渡米したのです。続きは後で。(記載日 2013年12月28日)

神の存在を意識したとき

悪いことが次から次へ起きた時、天につばをかけたくなるような心境で思わず天を見上げてしまいました。また同時に神の存在、自分以上の目に見えない力の存在を意識しました。「まだ死んではいない」と感謝したくらいです。病院入退院を繰り返しながら人生とは何?と心の底から真剣に考え始めたのもこの頃です。

そんな時期にアメリカ留学してしまうのですからちょっと波乱万丈です。留学の手続きはすべて一人でやりました。(ちょっと世間知らずです。)英語もまったくわからずロス行きの飛行機に乗り、右も左もわからないままロスの大空港に夜8時に旅降りたのです。日本語を話せるような人は回りにいません。それでも、そこから予約したホテル探しをしなければなりませんでした。うろうろ迷子になりながらも公衆電話を見つけ、しどろもどろの英語でホテルに電話をしたのを昨日の事の様に覚えています。


その晩、お腹すきすきだったわたしは、夕食をその宿泊したホテルで取りました。英語が読めませんから何もわからず、(お金もあまりなかったので)一番安いものを「これ!」と指で示して注文しました。それは何とメキシコ料理のチョー辛いソースがかけてあるチキンソテーでした。辛すぎて食べられず半分以上残して、腹ペコのまま泣き泣き寝ました。翌朝、朝早く6時の飛行機に乗ってオハイオ州コロンバスに降り立ったのです。自分がどこで降りていいのか?なんて訳のわからないことをその飛行中考えていました。飛行機に乗るのも生まれて初めて、やることなすこと初めてのことばかりで最初からドタバタの留学生活が始まりました。空港には留学大学先の先生がわたしの名前を掲げて待っていました。やっと一安心。創造主なる神はこんなわたしを見守っていてくださったのです。今でも驚くばかりです。続きは後で。(記載日 2014年1月8日)

管理人の最初の信仰

私は頑固者で「見なければ信じない」といい続けて、イエス・キリストを否定しつづけました。頑固者の私が、なぜ信じるようになったかを説明してみましょう。
今、私は神もイエスも見ることは出来ません。 実際に会ったこともありません。イエスがどれくらいの背格好だったかも知りません。しかし私は天地万物を創造された唯一の神が、イエスを遣わされた、というイエスのことばを信じます。「私が道であり、真理であり、いのちなのです」というイエスのことばを信じます。なぜ私は信じるのでしょうか。私自身の個人的な好みによって、信じるようになったのではありません。 またある特殊な性格を持っていたから、信じるようになったのではありません。人それぞれ信じるようになる段階がありますが、私の場合、次のいくつかのステップを踏んで信じたのです。

多くの日本人にとって「天地万物を創造された神」という概念は、非常に受け入れがたいものです。私も例外ではありませんでした。多くの疑問がありました。どんな方法で創造したのか。もし神がいるのなら、今どこにいるのか。そんな葛藤の中で、まずイエスのことばを読みました。読んでいるうちに、 「少なくともこの方は嘘をつこうとして話しているのでない」と思いました。
そのうちに、イエスの人格を見る限り「この人は嘘はついていない。真実を言っている」と結論になりました。でも、ここで直ぐに聖書が示す信仰を持ったかというと、そうではありません。イエスが言っていることは、理論的に考えても道義的に考えても、道理は通っているという結論でした。

しかし、イエスが言っている神の存在を、たやすく受け入れることは出来ませんでした。それで、イエスが言っている内容と現実の社会、自然界、宇宙の営み、人間の行いなどなど比べてみたのです。人間は本来、現実を見て「社会はこんなものだ」とか「自然の法則はこうである」とか判断するわけですが、 いつも人間の理解にはどこか欠けているところがあります。その欠けているところをイエスは満たしてくれたのです。だから、真理を語っていると確信を持てたのです。しかしそれでも私の信仰は、理論的に筋が通っているというだけの頭でっかちの信仰でした。心からの信仰ではなかったのです。人間が成長するように、神への信仰も成長するものです。その成長に従って神をますます知るようになるのです。(記載日 2015年6月)