コンテンツへスキップ 投稿日:2022年7月21日/更新日:2024年12月26日

マタイ6章5節-6節。一人で祈る意味

湖のそばで祈る人

祈りは独りでしなさいと主イエス様は教えています。祈りを独りでする理由は何でしょうか。「隠れている神様は、私たちの隠れた祈りを聞いてくださっている」という原則の下に、独りで祈る3つの理由を解説します。

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

マタイ6章5節-6節 聖書協会

なぜ独りで祈ることが求められているのか

主イエス様は、祈りの習慣として独りで明け方に祈っていたようです(マルコ1章35節)。なぜ主イエス様は、私たちにも独りで祈るように求めているのでしょうか。独りで祈ることに、何のメリットがあるのでしょうか。

隠れている神様は、私たちの隠れた祈りを聞いているからです。祈りとは、自分自身のすべてを神様に打ち明ける心の叫びです。神様以外、誰も聞いていない空間で、神様へ話しかけ祈るとき、どんなに恥ずかしがり屋の人でも自分のすべてをさらけ出すことができます。

教会での祈りがNGということでしょうか。決してそうではありません。キリストの体として教会で祈る重要さは、強調されるべきです。お互いに支え合う祈りがあり、信仰を分かち合い励まし合う祈りがあります。とっても大切な共同体の祈りです。しかしながら、祈りの基本は神様と1対1の祈りです。各自が独りで祈ってこそ、公の祈りに意味があるのではないでしょうか。

1.神様は、私たちと親密な関係を求めている

古今東西いろんな宗教がありますが、どの宗教も重要視するのは、宗教的な儀式を正しく執り行うことではないでしょうか。一方、信者側からすれば、ご利益がどれほどあるかに関心が寄せられます。

しかし本物のキリスト教は違います。キリスト教は、正しい儀式で成り立っているのでもなく、信者がどれほどご利益をもらえるかによって成り立っているわけでもありません。クリスチャンが信じる神様は、天地万物を創造された生ける神様です。今も宇宙を動かし、すべてを支配しているお方です。父、子、聖霊から成る三位一体の神様です。

この生ける神様が、私たちと親密な1対1の関係を求めているのです。本物のキリスト教は、生ける神様との関係に基づいています。主イエス様は、生ける神様として、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」とおっしゃいました。これは一人一人への呼びかけです。

軛は、主イエス様との1対1の関係を象徴しています。一人一人が、主イエス様の軛を負うのです。私の代わりに、誰かが私の軛を負ってくれるのでしょうか。そんなことありません。私自身が軛を負い、主イエス様と共に歩み、主イエス様から学ばなければなりません。

私たちは、それぞれ違った人格をもち違ったニーズをもっています。1人として同じ人間はいません。当然、祈りも違います。神様の祈りに対する答えも違います。このように神様への祈りは、オーダーメイドです。自分のサイズに合わせて服をオーダーメイドするように、祈りも同じです。自分の霊的なサイズとニーズに合わせて、祈りを捧げます。

2.神様は、個別で名前を呼び、私たちを招いている

主イエス様は、ヨハネ10章3節-4節で、「羊飼いは羊の名前を呼んで連れ出す」と言っています。個別に名前を呼んで、私たちを招いているのです。祈りもまったく同じです。天の神様は、一人一人を呼び出し、私たちの話を聞いてくださいます。この招きに従って、私たちは独りで主イエス様の名によって祈ります。

神様は、私たち一人一人をご存知です。私たちが生まれた時から、どんな人生を歩んできたのかを知っています。髪の毛の本数さえも知っていると主イエス様はおっしゃっています。そんな小さなこと、些細なことまで、私たちのすべてを知っているのです。

祈りは、良い事も悪い事もすべてを、神様に告白するときです。すべての感情(悲しみ、怒り、憎しみ、喜び、希望、平安)、たとえばネガティブな感情でも、神様にぶつけてみましょう。 1対1の祈りでは、他のクリスチャンや家族にも言えないことでも告白できます。

私たちの人生には、神様だけが知るべきことがあります。神様だけが、理解できる苦しみや悲しみがあります。似たような経験をしたクリスチャンが、苦しんでいるクリスチャンを助けられそうですが、主イエス様のようには出来ません。主イエス様は、すべての人間の苦しみや悲しみをご存知の方です。私たちの弱さ、強さ、すべてを知って、私たちのすべてのニーズを理解して、祈りに応えることができるのです。

3.神様は、私たちの心の底から出てくる祈りを求めている

神様への祈りは、私たちの心の奥底から出てくる心の叫びです。神様は、私たちの心の叫びをすべて聞きたいのです。そんな祈りの人を求めています。その祈りは、感謝や喜びの叫びかもしれません。逆に、苦しみ悶える悲しみの祈りかもしれません。個人個人によって、その時の状況によって、祈りは違います。

個人的な祈りでは、神様をほめたたえる気にはなれない時があるかもしれません。神様に疑問をぶつけたくなる状況や不平不満を言いたくなる場合は、どうでしょうか。詩篇22・1-27を読んでみましょう。

ダビデは、神様への不平不満、疑問でこの祈りを始めています。これは極めて個人的な祈りです。敵が四方八方にいる苦しい状況の中で、ダビデは祈りました。自分が置かれている苦しい状況を説明しています。そして最後に、集会での祈りになっています。個人的な祈りをして霊的に満たされているからこそ、集会でも祈れるのではないでしょうか。

このように個人の祈りでは、神様に自分の気持ちを直接ぶつけることができます。マタイ6章9節-13節の「主の祈り」は祈りの型として学ぶことが多いですが、個人の祈りではそれを度外視しても、私たちの心から出る叫びに神様は聞いてくださるのです。

結論 日々、天の神様に祈りましょう

神様は天にいらして、私たちは地上にいます。遥か彼方の遠く天にいる神様は、私たちの近くにいて祈りを聞いています。一人一人の祈りを聞いて、応えて下さっています。クリスチャンの祈りは、生ける神様との関係に基づいています。私たち一人一人の名前を知っている方は、髪の毛の本数さえも知っているほど、私たちの心の奥底までお見通しです。この神様は、私たち一人一人と親密な関係を求めています。「わたしにすべてを打ち明けなさい。わたしにより頼みなさい」と招いてくださっています。

日々、独りで天の神様に祈ってみましょう。主イエス様が約束しているとおり、このような祈りに神様は応えてくださいます。

コメントを残す コメントをキャンセル

モバイルバージョンを終了