コンテンツへスキップ 投稿日:2022年11月16日/更新日:2025年1月14日

ヨハネ1章35-42節。人生を変える出会い

グループで話し合う女性たち

一生の間には、いろいろな出会いがあります。その出会いは、人それぞれ違いますが、すべての人間には、共通したニーズがあります。それは私たちの創造主なる神様との関係です。その関係を満たすために、主イエス・キリストは天から降りてきました。あなたの人生を変える出会いです。

その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

ヨハネの福音書1章35-42節 聖書協会
人生を変える出会い

イエス・キリストに出会うための心の準備

バプテスマのヨハネの弟子であった2人の弟子は、ヨハネが指し示すままにイエス・キリストについていきます。ヨハネから「神の子羊であるメシア」について、彼らは聞いていました。しかし、この方がどのような方なのか、まだ知らずにいたのです。期待感と共に、彼らはイエス・キリストに出会いました。この時イエス・キリストは、彼らをじっと見つめて「わたしについて来なさい」と言ったでしょう。彼らは、バプテスマのヨハネの言うとおり、直感的に「この方こそメシア」だと思ったのです。誰か他の人にも伝えたくなる衝動にかられ、2人の弟子のうちの一人、アンデレは、自分の兄弟であるシモンに「メシアに出会った」と伝えます。

私たちもイエス・キリストに出会う時には、心の準備が必要です。真理を求める心、助けを求める心が必要です。その飢え渇きの心を持っている人が、イエス・キリストと出会う時、「この人こそ、本物だ。真理を語っている方」だと思えるのです。

私たちの人生を変える出会いがある

イエス・キリストは、シモンに言います。「あなたをケファ(岩)と呼ぶことにする」

と。シモンは、後先のことをあまり考えずに、言葉を言ってしまう軽はずみな性格の持ち主でした。そのシモンをイエス・キリストは、どっしりした「岩」と名付けたのです。これが、シモンの新しい人生の始まりの象徴でした。イエス・キリストとの出会いは、正に人生を変える出会いなのです。

私たちもイエス・キリストと出会う時、人生が変えられます。考え方、感情、行動から生活習慣まで、私たちは徐々に変化していきます。キリストを信じるとは、単なる宗教ではありません。ライフ・スタイルです。カルト宗教にはまっている人は、教祖の思い通りマインド・コントロールされてしまいます。キリストはまったく違います。キリストは、私たちをコントロールしようとする悪魔の支配から、解放してくださるのです。(カルト宗教も悪魔の業です。

1世紀の最初の弟子たちは、キリストに出会い「この人について行ってみよう」と思いました。しかし、その信仰は弱く半信半疑でした。「それでも良い。わたしについて来なさい」とキリストは言っています。

主イエス様を信じてみよう

最初から強い信仰をもっている人など、この世には誰もいません。信仰の人と呼ばれるアブラハムでさえ、神様を疑ったのです。信仰の巨人たちモーセもダビデも、同じように半信半疑を経験しています。シモンからケファと名前を変えられたペテロも、神様の計画を信じませんでした。

神様の目からは、みんなどんぐりの背比べではないいでしょうか。最初はみんな半信半疑でキリストに従ってみようと思うのです。しかし、「この方に従ってみよう」と思う決心だけは持ってみましょう。最初の一歩を生み出さなければ、後が続きません。イエス・キリストは、私たちの人生を変え続けて成長させてくださいます。

「ヨハネ1章35-42節。人生を変える出会い」への4件のフィードバック

  1. 多くの出会いの中で最も大きな影響を与えられた出会いは、深い人生の闇の中にいた頃主イエス・キリストとの出会いでした。初めは宗教だしハードルが高いかも?等と思いつつ聖書を読み始めましたが、宗教では無くハードルも無かった。主とは誰で私はなぜ造られたのか、聖書を学ぶうちに、主が”自分に在って“生きていた私を、“主に在って“生きたいと導いて下さいました。この闇時代が無ければイエス・キリストを知ることも耳を傾けることも学ぶこともなかったでしょう。まさに“苦しみにあったことは私とってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学べました(詩編119:71)”

  2. 本当に人生にはたくさんの出会いがあります。人との出会いには別れや裏切りもあります。しかしイエス・キリストとの出会いには別れ、裏切りはありません。共にいて下さり 私たちの地上の命が尽きても天国に行けるというプレゼントまで下さいました。本当にめぐみ深い事です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Optimized by Optimole