御茶の水キリストの教会の伝道者である野口良哉さんの寄稿。私たちの人生には、悲喜こもごもいろいろ不思議なことがあります。それらの出来事がなぜ起きたのかを考えても、理解できません。野口伝道者は、「神のなさることは時にかなって美しい」、「神の時こそいと良き時」という観点から、神のわざを解説しておられます。
時の2つの概念
旧約聖書「伝道者の書」3章11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」
新約聖書の原語であるギリシア語には、「時」を表わす言葉が少なくとも二つあります。一つは「クロノス」、もう一つは「カイロス」です。
「クロノス」とは、いわゆる時間のことであり、言うなれば、過去から現在を通って未来へと“水平に流れる”<時>のことであります。「クロノス」は、時間や時計を意味する英語“クロック”の語源にもなっています。
そして、もう一つの「カイロス」とは、ある意味、神の定めし時、神の時であり、これは言うなれば、天から地上に“垂直に降りて来る”<時>のことであります。「その時、歴史は動いた」というような、決定的な時を「カイロス」と言うのです。
神の時こそいと良き時、神を見極める
「時は金なり」。もちろん、この有限な地上生涯を歩む人間としては、まずは時間を大切にしていく必要があるでしょう。「いのちは時間である」という言葉もあります。しかし、その一方で、日々の歩みの中で、私たちの目の前に降りて来る決定的な神の時をこそ、しっかりと見極めていくこともまた大切なのではないでしょうか?
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」。全知全能なる神は、私たち人間一人一人を愛され、それぞれの最善を為して下さいます。ただ、そんな神のやり方は、私たち人間に完全には理解できません。「人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」とある通りです。
人間の生涯は刺繍の裏側のようなもの
ある人は、人間の生涯というものは、刺繍の裏側のようなものだ、と言いました。刺繍の裏側は、ほころびだらけでよく分かりません。しかし、ひっくり返せば、そこには美しい紋様が織りなされていることを見ることができるのではないでしょうか?「あ~、あの試練は、この祝福に繋がっていたのか」ということなどが分かるのかもしれません。
ただ、それがいつ分かるかは、まさに「神のみぞ知る」です。その時は、必ずしも、私たちのグッド・タイミング(Good Timing)とは限りません。まだ、目にすることはできないかもしれませんが、神の定めし時、神の時、ゴッズ・タイミング(God’s Timing)を信じて待ち、見極めたいと思います。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」
コリント人への手紙第二4章18節
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」 (ヘブル人への手紙11章1節)