10月は旧称で「神無月(かんなづき)」。一説によると、神々が出雲大社に集結するため、各地方では不在になるとか。・・・一方で、聖書に示される神様は、一時的にも“不在”になることは決してありません。人生という航海の嵐の中にさえも共にいて下さるのです!
ようやく朝夕の涼しさに秋らしさを感じ始めることができるようになりました。そして、暦の上では早くも10月です!? ちなみに、10月は旧称で「神無し月」と書いて「神無月(かんなづき)」。
この表現の語源に関する最も有力な説としては、「神の月」という意味での「神な月」がその語源のようであります。ちなみに、梅雨時期の6月が「水無し月」と書いて「水無月(みなづき)」と言われるのも、同じように「水の月」、すなわし「水な月」からだそうです。
ところで、平安期以降に出雲大社の御師(おんし)が広めたとされる語源俗説では、おおよそ次のように伝えられております。すなわち、この時期、10月に、ほぼ全ての神々が出雲(大社)に集まって翌年のことについて会議をするために、出雲以外では神々が留守にするので「神がいない月」という意味で「神無月」であるという訳です。なお、出雲だけは10月を「神在月(かみありづき)」と言うそうであります。
それはさておき、私たちが信じる神様、聖書の神様は、(三位一体の)唯一の神であり、一時的に“不在”になることは決してありません。神の言葉である聖書には度々、常に私たちと共に居て下さることが述べられています。先程お読みした聖書のみことばにある通りであります。・・・「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。・・・」。「・・・わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」。
湖上の嵐(⇒マルコによる福音書4章35~41節)の際、弟子たちの乗った舟に同船された主イエスは、弟子たちの叫びに応じて、風をしかりつけ、嵐をなぎへと変えられました。同じように、神様は、「あなた」や「私」という舟にも常に同船していて下さるのであります。そして、時に応じて「風」に象徴される、私たちの様々な心配や不安を抑えて下さり、人生という航海の「嵐」を、平安に満たされた「凪」へと変えて下さるのであります。
10月は旧称で「神無月」。神がいないと書きますが、そんなことはありません。聖書のみことばによれば、神様はたとえ人生の嵐の中にあっても、必ずあなたと共にいて下さるのであります。
あなたに、神様の平安が豊かにありますように。 シャローム!
御茶ノ水キリストの教会 野口良哉伝道者