他者との比較は、何も良いものを生み出しません。むしろ、慢心したり、逆に深く落ち込むだけです。私たち人間はともすると、他人のことが気になって仕方がなくなり、前に進めなくなります。他人の分、「他分」を生きようとするからです。しかし、そうではなく、神を見上げつつ、ゴールにこそ目を留めて、しっかりと置かれた場所で咲くべく、「自分」をこそ生きたいものです。
「イエスは言われた。『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。』」ヨハネによる福音書21章22節 聖書協会
上掲の聖句は、他人のことが気になって仕方のなかったペトロに対して、主イエスが語りかけた言葉です。イエスはペトロに、他人の分、すなわち「他分」ではなく、「自分」をこそ生きなさい!と言いたかったのではないでしょうか?
ともすると、私たち人間は、他者のことが気になって心を大いに騒がせ、前に進めなくなることが多々あるのではないかと思います。他者と自分を比較しては、落ち込むこともしばしばではないでしょうか?
野口良哉伝道者の福音メッセージ
あのイソップ童話の「ウサギとカメの話」を思い出して下さい。・・・ウサギは昼寝をしてしまい、カメはゆっくりとではありましたが、着実な一歩を積み重ねて勝利しました。
さて、ウサギの敗因、カメの勝因は一体、何だったのでしょうか?はっきり言ってしまえば、ウサギはのろまなカメを見て慢心し油断して、居眠りをしてしまいました。他者を見たことが敗因だったのです。つまり、ウサギは他者に囚われ「他分」を生きたのです。
それに対して、カメは何を見たのでしょうか?カメはウサギを見ませんでした。もし、仮にカメがウサギを見ていたら、意識してしまったら、その脚の長さや素速さに、早々に戦意喪失、戦線離脱していたかもしれません。しかしながら、カメはウサギを見ずに、ゴールこそを見たのでした。そして、その歩みは遅々たる歩みではありましたが、それこそ小さな一歩を着実に積み重ねて、ウサギとの競争に勝利したのです。まさに、カメは他者に左右されずに、「自分」をこそ生きたのではないでしょうか?
他者との比較は、何も良いものを生み出しません。むしろ、慢心したり、逆に深く落ち込むだけです。ぜひ、私たちも、他者との比較で「他分」を生きるのではなく、置かれた場所で咲くべく、「自分」をこそ生きたいものです。
読んでさった皆様、お一人お一人に、主なる神様の平安が豊かにありますように。シャローム!