新約聖書の背景、中間時代のユダヤ教の歴史を辿っていきます。
中間時代とは、読んで字のごとく旧約聖書と新約聖書の中間の時代。もっと具体的にいえば、旧約聖書の最後の書、マラキから主イエス様の生誕の間の時代です。1世紀のユダヤ教は、福音書を学ぶにあたってもっとも重要な歴史的文化的背景といえます。しかし1世紀のユダヤ教は、紀元前3世紀からユダヤ人たちの歴史を振り返り、はじめてその概要がわかると思います。
ギリシャ時代からマカベ時代
紀元前721年に北の王国(イスラエル)が滅ぼされ南の王国ユダ族だけが残りました。その後、ユダも前586年にバビロンによって滅ぼされ、捕囚の民となってバビロンに連れていかれます。その民たちが6世紀にエルサレムに帰還して小さな神殿を建てました。このとき、イスラエルの民として残ったのはユダ族だけでした。5世紀に、旧約聖書の最後の書になる預言者マラキが預言しましたが、これ以降、ユダの人々はどのようにユダヤ教を発展していったのでしょうか。

ギリシャ時代(前332年-167年)
アレキサンダー大王は地中海の諸国とアジアを征服しましたが、紀元前323年に病に倒れ死んでしまいます。その死後、アレキサンダーの支配下は、4人の将軍の手に分けられます。北にはセレウコス帝国、南にはプトレマイオス帝国が勢力を伸ばしていきます。園さん僕に間に位置していたのがユダヤでした。ユダヤは、この2つの大国の戦争に常に巻き込まれていくようになります。
ユダヤ教の腐敗が始まるようになります。プトレマイオス帝国下の支配(前301年~198年)、セレウコス帝国下の支配(前198年—167年)が続きますが、この間にユダヤ人たちは、徐々にギリシャの文化を宗教にも取り入れるようになります。
ユダヤ社会の中で、有力で影響力のある家系が2つありました。1.オニアス、大祭司の職にある家系。2.トビア、税金を集めるとても裕福な家系。この2つの家系は親戚関係にありましたが、常に権力争いをするライバル関係でもあったのです。
セレウコス帝国下では、ユダヤ教祭司たちはセレウコスの高官に賄賂を渡すことにより、大祭司職が取得されるようになります。この時から、エルサレムの神殿が実質上、異教の神殿になっていきました。
セレウコス帝国のアンテオコスV王は、ユダヤ人たちの支配を強めユダヤ教の礼拝を禁止しました。ギリシャ文化に流される方が得策と考えたユダヤ人たちは、この政策に逆らうことなく迎合したのです。
マカベの時代(167-63)
祭司マタティアは、異教の神々にいけにえに奉げるように、セレウコスの高官によって命令されますが、彼は神々にいけにえをささげようとしたユダヤ人たちと役人を殺して逃亡するのです。ここからユダヤ人たちの革命が始まりました。
ユダ(165-160)の時代。マタティアは、死ぬ前に5人の息子の一人ユダにリーダーの権威を与えました。彼のニックネームはマカベ(金槌)でした。ユダをリーダーとしたユダヤ人たちは、ゲリラ的にセレウコスと戦いました。
彼のニックネーム、マカベが由来で、この時代はマカベの時代と呼ばれるようになります。またにユダヤを支配したマカベの家系の支配は、ハスモン朝と呼ばれます。
大祭司ヨナタン(160-143)の時代。ヨナタンはセレウコス帝国と戦いましたが、一方で帝国内部の人たちを手を結び徐々に勢力を伸ばしていきました。
大祭司シモン(143-134)の時代。シモンはセレウコス帝国とユダヤの独立について交渉し始めた一人です。シモンは、前140年にはセレウコス帝国の承認の下で総督、大祭司、軍の最高司令官になりました。この時「イスラエルは異邦人たちのくびきから解放されたのである」と書かれています。シモンは、実質的にセレウコス朝の役人でした。1マカビ13・41、1マカビ3・1‐8。
祭司マタティアが始めた反乱がマカベに受け継がれましたが、前140年ではユダヤの宗教は腐敗の一途をたどっていました。
大祭司ヨハネ・ヒルカノス(134-104)の時代。シモンの息子。マカベ―一族のハスモン朝を強めた一人です。一方、セレウコス帝国の国力は衰えていったのです。その間にヨハネは、北はサマリヤから南はイドマヤまで領土を広げていきます。ヨハネは、ユダヤに平和をもたらしました。ヨハネは、神の権威によってユダヤを支配し、大祭司として、預言者として仕えたと伝承的に言われています。ヨセフス13.10.7
大祭司アリストブロスI(104-103)の時代。アリストブロスは、ハスモン朝(マカベ―一族)で初めて王という称号をうけた人です。
大祭司アレクサンドロア・ヤンナイオス(103-76)の時代。アリストブロスの未亡人(アレクサンドラ・サロメ)は、彼女の兄弟ヤンナオスを王と大祭司の地位につかせました。ヤンナイオスは、さらにユダヤの国力と領土をのばしましが、ユダヤ人の間で悪評高き人物であったようです。
大祭司ヒルカノスとアリストブロスII(76-63)の時代。ヤンナオスの死後、アリストブロスの未亡人(アレクサンドラ・サロメ)は、彼女の息子ヒルカノスを大祭司にします。彼女はユダヤを実質支配したほど影響力がありました。ヒルカノスは、彼の弟アリストブロスIIと権力闘争をします。
ユダヤの隣国であるイデマヤの総督、アンテイパテルが、この権力闘争の間に入りうまく2人を利用して彼の影響力を強めます。その結果、アンテイパテルの息子であるヘロデが、ユダヤ人ではありませんでしたが、後にユダヤの王になるのです。
新約聖書の背景
- 使徒パウロの宣教とその背景
- 新約の背景と1世紀の哲学
- ローマ帝国の家族構成
- 古代ローマ帝国の経済社会
- 古代ローマ帝国の階級社会
- 新約聖書の背景とユダヤ教の発展
- 古代ローマ帝国の宗教
- 新約聖書の背景とローマ帝国の道徳感
- 新約聖書の背景とユダヤ教の信仰と行い、
- ユダヤ教の発展と教派
- 外部リンク ローマ帝国
ローマ帝国支配下の時代(前63年~)
ユダヤ政府の権力闘争が起きているとき前63年に、ローマのポンペイがエルサレムを占拠しました。ヒルカノスはポンペイに従いますが、アリストブロスはポンペイと戦いました。この結果、ヒルカノスはユダヤとイドマヤの大祭司と任命されます。
ユダヤ政府内の権力闘争(前63年ー37年)。ローマ帝国内でも権力闘争が増していき、それに伴ってユダヤ人指導者たちの間でも「ローマ帝国内の誰に付くべきか」が暗闇の闘争が激しくなっていきます。
ヘロデ大王(前37年ー4年)。アンティパトロスの息子であるヘロデは、前40年に元老院によって、ユダヤの王として任命されます。彼の政治的狡猾さによって、彼はユダヤの王になりましたが、ローマ帝国の操り人形の王でした。
彼はユダヤ人ではありませんでしたが、宗教ではユダヤ教を信望していました。神殿建築を始め、様々な政策をユダヤ人たちのためにしました。そのためユダヤ人の間では人気が高い王と言われていました。主イエス様の生誕したとき、ヘロデが王でした。マタイ2章。
ヘロデの死後(前4年-後93年)。前4年ヘロデの死後、ユダは3つに分割されます。アルケラオがユダとサマリアを支配、ピリポはテラコニヤを支配、アンティパスはガリラヤを支配しました。その後、ヘロデの家系の支配は93年まで続きます。

参考文献
- Ferguson, Everett. Backgrounds of Early Christianity, 2nd ed. Grand Rapids: Wm B. Wwedmans, 1993.
- 桜井万里子、木村凌二。ギリシャとローマ。世界の歴史、第五巻。中央公論社、1997年。
- 村川堅太郎。ギリシャとローマ。世界の歴史、第二巻。中央公論社、1995年。
- 島田誠。古代ローマの市民社会。山川出版、1997年。