聖餐式に与る人資格は何でしょうか。主の晩餐は、誰でも受けることができるのでしょうか。それとも聖餐式に与る人は洗礼を受けた人だけですか。聖餐式をオープンにするのか、クリスチャンだけに限るのかは、教派によって解釈が違います。
管理人の結論は、基本的に聖餐式、主の晩餐はバプテスマを受けたクリスチャンが与るものと理解しています。そのことを教会で聖餐式が執り行われる時、明確にしています。しかし、それでもクリスチャンではない方が聖餐式に与りたい場合は、私たちはその人を引き止めることは致しません。その決断をサポートいたします。最終的に、本人が自分の信仰によって決めるべきです。
バプテスマによって主の契約に与る

人は主イエスへの信仰によってバプテスマを受け、霊的に主と共に死に死からよみがえられます(ローマ6・3-11)。バプテスマは、主の契約に与るスタート地点です。主イエス様とともに生きると信仰告白をして、主の契約に契約に与るのです。わかりやすく言えば、主イエス様との結婚式とも言えます。結婚式で、契りの約束を交わすように、クリスチャンも主イエス様と約束を交わすのです。
聖餐式、主の晩餐は、主イエス様が制定した契約の晩餐です。主イエス様を信じてバプテスマを受けた、つまり主との結婚式を挙げたクリスチャンは、結婚記念日を毎週おぼえるのです。
最終的には、個人の信仰によって決める
バプテスマが主の契約をスタートさせる儀式であるように、聖餐式は主の契約を週ごとに更新させる儀式です。
バプテスマと主の晩餐は、主イエス様の契約の要です。どちらも主の契約に関係しています。主の晩餐は、主イエス様と契りを交した人が与るべきです。ゆえに、主イエス様への信仰によって、主の晩餐に与るべきなのです。
しかし、信仰をもっているけれどバプテスマ(洗礼)をまだ受けていない人は、どうすればいいのでしょうか。このような人が、主の晩餐に与りたい場合はどうすればいいのでしょうか。このような人の自由を束縛するべきではありません。最終的に、その人は信仰によって決めるべきです。もし望めば、信仰によってこのような人も主の晩餐に与ることができます。