なぜ宗教に入るのか?宗教に入る理由は?宗教嫌いの人が多い日本において、なぜこれだけ新興宗教が流行るのでしょうか。その深層心理は、誰にもわからないでしょう。しかし、宗教に入るきっかけは?という質問には答えられます。
五木寛之氏が答える「なぜ宗教に入るのか」
五木寛之氏は、「人生の目的」という著書の中で、宗教を信じる事について次のように書いています。
しかし、自分以外の人がつくった物語を本当に信じられるためには、そのつくった人を尊敬できなければならない。共感し、愛さなくては、信じられない。だから信仰や宗教は、競技からはじまるのではなく、その偉大な物語をつくり、それを信じて生きた人への共感と尊敬と愛からはじまる。
宗教に入るきっかけとして、かなり的を得ています。すべての宗教に当てはまります。オウム真理教のようなカルト宗教の信者たちの間でも、尊敬と共感と愛が生まれていたはずです。この尊敬と共感と愛が、一つの絆となって信者たちを結び付けていきます。カルトの場合は、縛り付けていくのです。このように考えますと、「宗教って怖い」と実感できるのではないでしょうか。
なぜ宗教に入るのか? クリスチャンの信仰の場合は?
では、クリスチャンはどうなんでしょうか。なぜクリスチャンは、キリストを信じるのでしょうか。
「キリスト教は健全な宗教だから、盲目的な信仰などない」と誰も言い切れはしません。もし言い切る人がいれば、それこそ盲目的な信仰です。
盲目的に信じるとは、「何も検証せずに信じてしまう」愚かな行為です。「この人が信じているから本当に違いない」と考えるような信仰です。牧師の言葉を何の検証もせずに鵜呑みにして信じていたら、盲目的な信仰と指摘されても仕方ないでしょう。たとえ、それが命がけの信仰だとしても、それはカルト的宗教の信仰に過ぎません。
では盲目的な信仰にならないためには、わたしたちは何をすべきでしょうか。教会へ行けば、牧師の説教を神の御言葉として、聞くことになります。教会の雰囲気にもよりますが、周りの人たちが疑いもなく信じていれば、無意識にそれに歩調を合わせるでしょう。だから、自分の信仰を検証する必要があるのです。
クリスチャンの信仰は、イエス・キリストとの個人的な関係に基づいています。信仰とは個人的なものです。しかし、クリスチャンが、なぜイエス・キリストを信じるかと友人に問われたら、何と答えるのでしょうか。クリスチャンには答える義務があります。信仰が公になるときです。だからこそ、クリスチャンは、なにを、なぜ信じているのかを知らなけらばなりません。
いかがでしたか。宗教・信仰に入るきっかけは何かを説明しました。また、盲目的な信仰に対比して、クリスチャンの信仰の本質を説明しました。お役に立てたでしょうか。読者の皆様に、主なるキリストの愛が注がれますように、心よりお祈り申し上げます。