すべての人間は罪人です。しかし罪深い人間にも希望があるのです。人間の立ち位置について考えてみましょう。
すべての人間は罪人だけど・・・
ローマ3章9-20節を読んでみましょう。ローマ1章では、全人類の罪が書かれています。2章では、神様の律法を受けたイスラエルの人々は、異邦人を裁いているけれど、同じように罪を犯していると明らかにしています。ローマ3章9-20節では、例外なくすべての人間が罪人であることを教えています。そんな私たち人間に、希望はあるのでしょうか。この罪深い世の中で生きている私たち人間は、どのように生きるべきでしょうか。
私たち自身を見るまでもなく、私たちが生きている世の中を観察すれば、どれほど罪深い世の中に生きているかがわかります。人類の歴史が始まって以来、私たち人間は常に傷つけ合い、殺し合いをしてきています。
血を流す殺し合いだけではありません。人間は心を傷つけ、生きる命の力を奪い取っているのです。たとえ、血を流すような殺人を犯さなくても、例外なく私たち人間は、すべて罪深い存在なのです。
罪によって弱い者、不信心な者、罪人、神の敵になった
では罪深い私たちが、どのような状況に置かれているのかを考えてみます。罪深い私たち人間は、弱い者、不信心な者、神様の敵になってしまいました。実際、罪は私たちの心も体も弱くします。たとえば、怒りは人を傷つけるだけではありません。自分自身の心も傷つけます。そのようなネガティヴな感情は、私たちを疲れさせます。自暴自棄になっていきます。
罪は、心を壊すだけではありません。私たちの健康をも蝕んでいきます。タバコやお酒、暴飲暴食、ギャンブル、睡眠不足のような習慣は、私たちの体も弱くします。私自身、20代の時、自分の体に悪いことすべてをやり尽くしていました。26歳の時には体はボロボロでした。その泥沼から何とか抜け出したいと必死にもがいていました。
こんな私たち人間は、神様から離れた存在になってしまいました。実際多くの人々は、創造主なる神様から離れて生きています。私たち人間のデザイナーである神様の教えに反して生きてます。そのような人生は、楽しいことよりも苦しみや悲しみの方が、数倍多いのです。
何でもデザイナーのデザイン通りに使ってうまくいくのではないでしょうか。オリジナル・デザインから離れて人間が生きていくとき、最終的には破滅が待っています。途中の道がどんなにハッピーに見えても、最後は破滅です。
神様の裁きは地獄
神様は、人間たちの罪を見て悲しんでおられます。同時に、そのような人間に罪に対して、神の怒りが下ると聖書は明らかにしています。罪に対する神様の裁きは、地獄です。永遠の苦しみを与える地獄です。主イエス様は、ルカ16章で金持ちとラザロのたとえ話の中で、地獄の苦しみを説明しています。地獄に行った金持ちは、次のように言います。
父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。
このような苦しみを経験する地獄には、誰も行きたくありません。神様も、私たちがこのような苦しみを経験するのを望んでいません。
こんな私でさえ救われる
では私たちはどうすればいいのでしょうか。罪ゆえに、苦しみの人生を歩むしかないのでしょうか。人間は神様から離れては絶望的存在なのです。
そこで神様は、私たちに主イエス・キリストを与えてくださったのです。主イエス・キリストを信じる人は、この神様の怒り、神様の裁き、地獄の裁きから救わられると約束されています。神様の方から手を差し伸べてくださいました。主イエス・キリストは、私たちの罪を取り除くために、天から降りてきました。私たちの罪のために、身代わりになって死んでくださったのです。
どんなに人間が頑張っても、この祝福は受けることはできません。政治だろうと何であろうと、どんな支援を受けても、主イエス様が与える祝福には敵いません。
神様の恵みは、これだけではありません。神様は、私たちに愛を注いでくださいました。永遠の愛です。私たちが、この罪深い世の中で正しく生きるための愛です。この人生を喜びと平安の内に生きるための愛です。
この愛は、誰も私たちから取り去ることはできません。天にいる天使であっても、この愛を私たちから奪い取ることはできません。神様の敵である悪魔は、常に私たちを神様から引き離そうと画策していますが、神様ご自身が私たちをこの愛で支えてくださっています。
悪魔によってだまされて生きていた私たちを…
私たちは、一度、神様の敵として生きていました。神様から離れた存在として生きていました。悪魔によってだまされ、自分勝手な思いで生きていました。ところが、こんな私たちに手を差し伸べてくださったのです。この世をさ迷い歩いていた私たちを、優しく招いてくださいました。
「あなたは何を迷って生きているのか。なぜ重荷を背負って生きているのか。なぜそんなに悩んでいるのか。わたしの下に来て、わたしに生き方を学びなさい」と私たち一人一人に声をかけて下さったのです。
今、私たちは、神様で主イエス様の招きを受け入れ、主イエス様の支配の下にいます。神様の愛によって、地獄の苦しみから救われ、また多くの恵みと平安を受けているのです。これが神様の和解を受けた証拠です。私たちを正式に神様の子供として認めて下さった証拠です。
混迷した世の中で、私たちはどこへ向かおうとしているのか
私たちの過去は、罪深い人生の過去です。空しい人生、無意味な人生の過去です。神様が与えて下さった人間のIDを自ら捨ててしまった人生でした。しかし、いま私たちは、主イエス様を受け入れ、喜びと平安の人生が与えられています。
この混迷した世の中で、私たちはどこへ向かおうとしているのでしょうか。主イエス様はおっしゃっています。いつかこの世には終わりがあると。今の天地はなくなり、新しい天と地が造られると預言しています。それがどんなものかは、誰も知りません。しかし、ハッキリしていることが一つあります。それは、主イエス様は、約束通り、いつか私たちの目の前に現れること、そしてこの世の悪を裁くということ、さらに私たちを天の御国へと導いてくださることです。その日が来るまで、信仰深い生活を送りましょう。
ローマの手紙
アーメン。“私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。-詩篇139:14“ 私も自分勝手な暗闇の人生を送っていましたが主はこのような私を見離さず、おどろくばかりの恵みによって救ってくださいました。自身の原点を思うと、神さまが過去から今日までどんなに導いてくださったかと思い感謝でいっぱいです。