コンテンツへスキップ 投稿日:2023年8月30日/更新日:2023年8月27日

教会の形、日々の礼拝と教会の礼拝

教会はキリスト者の共同体ですが、人が集まる時だけ機能している訳ではありません。この記事では、日々の礼拝と教会の礼拝の関係を考えながら、教会の役割を解説します。

日々の礼拝と教会の礼拝の関係

パウロは、自分を捧げることが霊的な礼拝であると言っていますが、それが教会と大きな意味でつながっているので、12章2-8節で教会の役割を説明しています。

日々の礼拝があるからといって、教会の礼拝が必要ではないと言っている訳ではありません。むしろその逆です。日々の礼拝がありからこそ、教会での礼拝につながるのです。

教会は、キリストの体です。一人一人が、お互いに支え合う共同体です。あなたの幸せは、私の幸せになります。あなたの信仰を見て、励まされるのです。このような共同体の中で、共に礼拝することに意味があるのです。

教会での自分の立ち位置

パウロは、まず最初に教会での自分の立ち位置を確認しなさいと言っています。主キリストによって与えられている役割を、しっかりと理解するように励ましています。なぜでしょうか。

クリスチャンは、キリストの体の一部として、それぞれ役割を担っています。主のデザインされた体の部分として、自分が機能しなかったら、どんなクリスチャンになるのでしょうか。

高ぶった考えで、主キリストが与えている以上に、自分を高めてはいけません。向上心は必要ですが、主キリストが与えてくださっている役割を見極める必要があります。しかし、その逆の態度も主キリストの御心ではありません。「自分には何もできません。能力もありません」と言って、自分の霊的な賜物を無駄にしてはいけません。

一人一人に与えられる聖霊の賜物

教会に集うクリスチャン一人一人には、神様からそれぞれ聖霊の賜物が与えられています。役割は違っても、その役割に上下関係はありません。先生と呼ばれるような人もいません。なぜなら、みんなが兄弟姉妹だからです。

一人一人が、聖霊の賜物、役割を理解することは、キリスト者の義務でもあり、また権利でもあります。聖霊が与える賜物、役割を、もし使わなかったら、その人はどうなるのでしょうか。

おそらく、主キリストが望むようには、霊的に成長しないでしょう。だから、私たちは一人一人、霊的に目を覚ましている必要があります。ここで教会の基本的な原則に戻って、教会について考えてみましょう。

キリストが建てている教会

教会は、人間の権威によって建てられていません。人間が造った組織が、教会を管理したりしていません。

主キリスト自身、「わたしの教会を建てる」と言いました。今も教会をキリストは建てています。今も、キリストは、聖霊を通して教会を整えています。

私たちは、思い違いをしてはいけません。教会は、キリストが直接関係をもっている霊的な共同体なのです。キリストが私たちと共にいなければ、これはただのサークルに過ぎません。

一人一人が、キリストにつながり、一人一人が互いにキリストを通してつながっているのです。だから、キリストの体につながっていなければ、霊的に成長は難しいでしょう。また教会という共同体に属することなく、キリストにつながることはほとんど不可能に近いでしょう。

キリストが建てる教会のミッション

今もキリストが建てている、キリストの聖霊が宿っている教会のミッションは何でしょうか。エペソ4章12-16節を読んでみます。この聖句は、ローマ12章と少し似ていますが、教会のミッションについて説明しています。

こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。

エペソ4章12-16節 聖書協会

教会とは、一人一人がキリストとつながっている共同体であると言いましたが、そこにはもっと大きな意味があります。この世で誘惑に会うのは避けられません。なぜなら、悪魔はこの世で活発に人を騙そうとしているからです。だからこそ、私たちは、悪賢い教えや間違った宗教に入ったりしないように、励まし合う必要があります。そのために、教会という共同体が建てられているのです。

切磋琢磨して、お互いを磨いていく関係があります。主キリストを中心として、私たちは支え合っています。霊的に成長します。同時に、健康な体を保ち、自分の体を使って神様への霊的な礼拝をささげるのです。

あなたの教会観にお役にたてたでしょうか。読者の皆様の上に、主の尊い祝福が宿りますように。

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