コンテンツへスキップ 投稿日:2023年1月15日/更新日:2023年2月14日

ローマの手紙 使徒パウロの信仰と人格

パウロの信仰と人格

ローマ人への手紙の解説、注解を始めます。この記事では、ローマ人への手紙の著者である使徒パウロの信仰と人格、人と成りを検証します。1世紀の歴史的文化的背景を考慮に入れながら、使徒パウロの真意は何だったのかを、出来る限り詳しく解説します。皆様の応援とお祈りを願いします。

使徒パウロの人と成り

1章1節によれば、この手紙はパウロによって書かれている。新約聖書の他の手紙のような重大な著者問題は、ローマ人への手紙に関してはほとんど存在していない。むしろこの手紙の著者は、パウロである信憑性が非常に高いために、パウロの諸手紙の著者問題を語る上で判断基準の材料にもなっている。それでもある一部の学者の間では、手紙の統一性に疑いが投げかけられている。1章~14章または1章~15章までがオリジナルのローマ人への手紙であり、15章~16章または16章は後にパウロ自身が書き加えたもの、あるいは後に編集者によって付け加えられたものと主張されており、学者間で議論されているが、歴史的または文献的な確かな根拠がないためにこの主張は退けられている。

1世紀においては、筆記者が主人の手紙や公文書を書きとめるという慣習があった。パウロ自身もこの慣習に従い、クリスチャン筆記者であるテルテオに口頭の言葉を筆記させたと考えられる(16:22)。ユダヤ教からキリスト教に改宗したパウロの人となりを知ることは、この手紙に書かれているパウロの考え、思い、感情、教え、使命感をより深く理解する上で非常に重要であると考えられる。ここでは4つの観点からパウロの人となりを考えてみよう。

1.パウロのユダヤ教徒としての信仰

「イスラエル民族に属し純粋なヘブル人、パリサイ人として律法を最も忠実に厳しく守ろうとしていた」(使徒23:6、ガラテヤ1:14、ピリピ3:5)とパウロは告白している。ユダヤ教ではサウロ(使徒13:9)と呼ばれ、ギリシャ名ではパウロと呼ばれていた。パウロの生まれはタルソであるが、エルサレムで育てられユダヤ教のヒルレル学派のガマリエルに仕え学んだ(使徒22:3)。ガマリエルは最も尊敬されていた律法学者であり、ラビ(私の教師)ではなくラバン(私たちの教師)と呼ばれていた。

古代ユダヤ教文献には「長老ラバン・ガマリエルが死んで以来、もはや律法に対する畏敬と純潔や節制はうせてしまってない」と書かれている程、ガマリエルは古代ユダヤ教において偶像的存在であった。ガマリエルに仕えたパウロは、ユダヤ教のエリート中のエリートであったといえる。そのエリートというプライドと共に、パウロは神に仕える熱意は誰にも負けないと自負をもっていた。その熱意からパウロは、ユダヤ教の伝統と教えに反するクリスチャンを神の敵とみなし迫害していた。(使徒7:58、8:3)。

2.国際人としてのパウロの教養

ガマリエルから受けた高等教育を受けたゆえに、パウロの旧約聖書の知識は並々ならぬものがあっただろう。このような彼の高等教育は、パウロに宗教的権威を与えていた。たとえば、ユダヤ人たちがクリスチャンを迫害していた時、パウロはクリスチャンをエルサレムに連れて行き牢に入れることも出来たのである。しかしパウロの教養は、ユダヤ高等教育に留まらなかったと推察される。ユダヤ教の高等教育は、その内容は旧約聖書に基づいていた。

同時に、教育の仕方においては、ギリシャ・ローマ教育の伝統的な修辞学(弁論する、論理的に考える技術を学ぶ学問分野)を取り入れられていたからである。ゆえにパウロがガマリエルに師事して旧約聖書を学んでいた時に、同時にギリシャ教育を受けていたのである。ギリシャ語を学び(使徒21:37)、多くの人々の前で演説を出来るように訓練され(使徒17:16~31)、また難しい問題を論じながら長い手紙を書くようにギリシャ・ローマ社会の修辞学教育を受けていたと考えられる。この教育は、ローマの教会のようなある特殊な問題を抱えていた教会、すなわちユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの宗教的民族的問題を抱えていた教会に手紙を書く時に、大いに役立ったのではないかと思われる。

3.ユダヤ教からキリスト教へ改宗した経験

パウロは、キリストが自らの宣教中に召した12人の使徒の一人ではない。キリストは復活して天に召された後に、直接パウロに現れ福音宣教の使徒としてパウロを召した(使徒9:1-9)。パウロの福音が人間によってではなく、主キリストに直接与えられたものであるとパウロはこの啓示体験を告白している(ガラテヤ1:11~16)。

パウロは、この体験を下にユダヤ教の伝統と権威、自分のユダヤ教信仰を捨てて、唯一無二のキリストの福音に奉仕する事になった。しかし、この一回の啓示体験だけでなく、パウロは宣教の行く先々で、キリストから継続的に福音の奥義に関する啓示を受けていたのであろう。その啓示が、様々な諸教会のニーズに合わせて、パウロの諸手紙に表現されているのである。

4.異邦人の使徒としての使命感

主キリストは、初めてパウロに現れた時、福音を異邦人、王たち、イスラエルの子孫たちに伝えるミッションをパウロに与えているが、「異邦人の使徒」という特別な役割は与えていない。福音宣教の中で異邦人もキリストの福音の救いに与れるという啓示を受け、「異邦人の使徒」という役割を徐々に受けていったのではなかろうか(使徒22:21)。

実際、パウロ自身、ガラテヤの手紙を書いた時には、自分が異邦人の使徒であり、ペテロはユダヤ人の使徒として奉仕しているという役割分担を認識していたようである(ガラテヤ2:8、1テモテ2:7)。ローマ人への手紙においても、パウロはあらゆる国々の人々に宣教したように、ローマの教会にもキリストの福音を伝えたいと書いている(ローマ1:13)。  

結論 使徒パウロの人と成り

これらの4つのパウロの資質を理解する事は、ローマ人への手紙を釈義する上で非常に重要な要素といえる。新約聖書の手紙は、神の御言葉である。神は、新約聖書の著者たちを聖霊で満たし、新しい契約に関する啓示を与えた。神は、彼らのペンを通してその御心を示したのである。ローマ人への手紙も同様である。

神に導かれたパウロは、キリストの福音の原則を示し、ローマの教会が抱えていた諸問題を解決するためにこの手紙を書いたと思われる。旧約聖書に精通し、同時にギリシャ文化、ローマ文化にも精通していた国際人パウロは、ローマ帝国の首都にあったローマの教会の諸問題を解決する糸口を与え、教会を整えるのにふさわしい人物だった。

「ローマの手紙 使徒パウロの信仰と人格」への2件のフィードバック

  1. 詳しい解説をありがとうございます。神によって、パウロがクリスチャンを迫害する側から福音の説教者として変えられ、主に全てを明け渡し従う人生を学ぶ度に励まされます。主の御名を賛美します。今この時も、主イエスを通して私達の人生になされている神のお働きに感謝します。

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