なぜ神の裁きを真剣に考えるべきでしょうか。神の裁きは近いと常に考えるべきです。なぜなら、神にとって1000年は1日のようだからです。神が定めた裁きは、明日にでも来てしまうかもしれません。キリストを信じている人も信じていない人も、すべての宗教の信者、すべての国々の人々、すべての人間が裁かれる時が来ます。
1.神の裁きは確実に近づいている
自分の将来に不安を持っていますか。また大きな地震が起きるかもしれません。大きな病気にかかるかもしれません。事故が起きるかもしれません。でも、まったく起こらないかもしれません。私たちは、明日のことさえわからないのです。将来、起こることで唯一確かなことがあります。それは神の裁きです。確かに刻一刻、その日が近づいています。
2.神の裁きの日は、一人一人、別個に下される
神の裁きはグループごとに行われるのでしょうか。カトリック教会に属していたから、あなたはOKとかNGになるのでしょうか。そんなことはありません。神の裁きは、個人個人、一人一人に下されるのです。「 それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです」(ローマ14・12)。自分自身の信仰が問われるのです。その時は、自分の教会の牧師や司祭はそばにいません。私自身が、自分の人生について弁明することになります。
3.神の裁きの日は、人の人生を反映している
神の裁きは、一人一人に別個に下さられますから、その人がこの人生をどう生きたかが反映します。神を信じイエス・キリストを信じて生きるのか。またクリスチャンになったとしても、本気で信じているのか、それとも心は遠く離れているのか。自分の心は、言動は、態度は、信仰はどこに向いていたのかが、その裁きの日に問われます。
4.神の裁きの日は、完璧である
その日その時、神は死んだ人も生きている人も含めてすべての人間を裁きます。人の心を見る神の裁きに誤りはありません。人間が隠れて行う悪事もすべての罪が、明らかにされる時です。誰も、神から隠れる事はできないし、神の裁きを逃れることは出来ません。
5.神の裁きの日は、最後の裁きである
人類の歴史の中で、神は人々を悔い改めに導くために、聖なる愛によって人々を懲らしめてきました。人間は苦難を経験する時に、必然的に神の憐れみを求めるからです。自分の愚かさに気づくからです。しかし、それでも多くの人間は、悔い改めません。神の裁きの日には悔い改めのチャンスはもはやありません。なぜでしょうか。この裁きが神の最後の審判だからです。
しかし主の再臨の後に成就される神の裁きは、まだ来ていません。なぜでしょうか。この疑問に答えるために次の記事も読んでみてください。
結論 神の裁きを真剣に考えましょう
いかがでしたか。あなたは、神の裁きの日を迎える準備が出来ているでしょうか。主イエス・キリストを信じているでしょうか。神の最後の裁きが来て悔い改めのチャンスがなくなる前に、今すぐ悔い改めて主イエス・キリストを心から信じましょう。読者の皆様の上に、主キリストの尊い愛が注がれますように。